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新潟地方裁判所 昭和45年(ワ)590号 判決 1977年3月25日

原告 木村美子 ほか一名

被告 国 ほか一名

訴訟代理人 玉田勝也 坂井光男 高橋郁夫 ほか四名

主文

一  被告滝沢運送株式会社は、原告木村美子に対し金三五二万円、原告木村政雄に対し金一七九万円、および右各金員に対し昭和四五年七月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告滝沢運送株式会社に対するその余の請求を棄却する。

三  原告らの被告国に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告らと被告滝沢運送株式会社との間においては、原告らに生じた費用の二分の一を被告滝沢運送株式会社の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告国との間においては全部原告らの負担とする。

五  この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判<省略>

第二当事者の主張

別紙記載のとおり。

第三証拠<省略>

理由

一  被告会社が港湾運送事業等を業とする会社であり、昭和四五年六月七日、新潟港西港山ノ下埠頭に到着した輸入木材七一五八本(輸入商社岩手県貿易振興協会、買受人金清木材株式会社)の消毒場所までの陸路輸送並びに右陸路輸送に必要とされる消毒の業務を請負い、同月八日午後一時三〇分ころから午後六時ころまで、同月九日午前八時ころから午後六時三〇分ころまでの間、新潟市神明町一一番先の通称浜町通山ノ下埠頭と平行に走る舗装道路と原告宅の裏側を走る一部未舗装の坂道がT字型に交差する付近で、右輸入木材の消毒場所までの陸路輸送に必要とされる害虫分散防止のために、パインサイドC(EDB二五パーセント、BHCγ二・五パーセントを含む混合油剤)を稀釈した薬液噴霧を行つたことは当事者間に争いがなく、右薬液の噴霧方法は鳥居様の鉄パイプを組立て、輸入木材を積んだトラツクがその下を移動する際に、発動機で圧力をかけた本件薬液をその上部三箇所のノズルから噴射させる動力噴霧方法であつたことは、原告らと被告会社との間には争いがなく、被告国においても明らかに争つていないので自白したものとみなす。

<証拠省略>によれば、右噴霧場所から段下りの雑草地になつている空地をはさんだ南東側には相当数の民家があり、原告ら住家は、その一軒で「噴霧場所より約五〇メートル位離れた低地に位置する木造二階建家屋であつて、各階とも埠頭側に窓や入口を有しており、とくに二階部分は埠頭側のほぼ全面に窓が設置されており、本件薬液が飛散した場合にはこれを遮断する障害物は全く存在しないことが認められる。

二  そこで先ず、被告会社が消毒のために使用した本件薬液の性質から検討する。

1  本件輸入木材に、害虫分散防止のために噴霧した薬液がパインサイドC(EDB二五パーセント、BHCγ二・五パーセントを含む混合油剤)原液を稀釈したものであることは当事者間に争いがないところ「毒物および劇物取締法並らびに同法の関係施行令、施行規則」によれば、EDB、BHCγともに一〇〇パーセントの場合は毒物であり、含有EDBが五〇パーセントを越える場合には劇物となり、含有BHCγが一・五パーセントを越える場合には劇物となるから、右パインサイドC原液はBHCγが二・五パーセントを越えているので劇物となる。

ところで<証拠省略>によると、本件薬液は、昭和四五年六月八日の午前中に、被告会社において、新井田貞一立会のうえで同社の作業員が灯油一八〇リツトルの中にパインサイドC原液二〇リツトルを入れて一〇倍に稀釈したものを作り、これを使用したこと、従つて一〇倍に稀釈したことにより、本件薬液中の濃度はEDBは二・五パーセント、BHCγは〇・二五パーセントになり、本件薬液は「毒物及び劇物取締法、同法関係法令による劇物には該当しないことになり、法律上は、特に取扱上特別の注意を払わなくとも人に危害を加える薬液に該当しないものとなつたことが認められる。

2  次に、<証拠省略>を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  BHCは、DDTの数倍の殺虫力があり、その毒性の中心は神経毒であり、脂肪に溶け易く、皮膚、口、気道からも侵入し急性の中毒が後遺症状を残すことがあり、本件の如く有機溶剤に溶解したものは吸収が早く毒性が強くあらわれ、また中毒前後の飲酒は被害の程度を著しくすること、そしてひとたび中毒にあうと皮膚粘膜の炎症、神経系統の障害(頭痛、めまい、意識障害、手足のしびれ、筋力の低下、けいれん)、消化器官の障害(肝臓、胃腸障害、腹痛、下痢、食欲不振、悪心、嘔吐)、眼の障害(露視、重複視)等様々な障害をひきおこし苦悩の末、死に至ることも稀ではないこと、特に、BHCγは、割合蒸気圧が高くて、蒸発しやすく、動物体内で割合に早く分解すること、また浸透性を有するため、効果の持続性があると云われ、BHCを含有する薬剤はいずれもその使用上の注意事項として、薬液を直接皮膚に触れないようにし、又噴霧液を吸わないように注意し、誤つて皮膚につけたときは、すぐ石鹸で洗い落すようにすることが求められていること。

(2)  EDB(臭化エチレン、ジブロムエタン、エチレンブロマイド)は殺線虫剤として使用され、クロロフオルムより相当強い毒性があり温血動物に有害で皮膚を侵触しその蒸気は、眼の粘膜、上気道を刺激し、鈍感、抑うつ、嘔吐を催し、重症になると気管支炎、喉頭炎、食欲不振、頭痛、意気消沈、抑うつ症等を起すこと

(3)  EDBとBHCγ(リンデン)の毒性は、BHCγの方がやや強く、BHCγは体重一キログラム当り〇・五ミリグラム位を口から飲んだ場合に中毒作用を起すことがあること、また身体的条件により中毒を引起すBHCγの量に若干の差があること、

(4)  右(1)、(2)の如き危険有害物質であるため、製造、使用制限が行なわれ、厚生省は昭和四四年七月一〇日には、DDTやBHCの新規許可を中止する決定を行い、同年一一月食品衛生調査会の農薬許容量の答申をうけるという事態の中で、同年一二月一〇日、日本BHC工業会は国内むけのBHC、DDTの製造中止を決定し、昭和四六年度に入るや更に農林省は、林業について認めている有機塩素等殺虫剤BHCの使用を禁止するに至つた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実からすると、たとえ一〇倍に稀釈し、法律上は劇物に該当しなくなつたとしても、問題は薬剤の全体の使用量であつて、その中に含有されるBHCγ、EDBの含有絶体量が問題であり(原、被告ら主張の量は被告会社が、許可条件を守つているとすれば、使用の量がもつと多いのではないかの疑点がある)、また中毒症状の発生について暴露をうけた人の身体的条件によりその許容量に差のあること、また、含有BHCの量が法的に劇物指定を受けない薬剤の場合であつても、その使用上の注意事項として、吸飲しないこと、皮膚にふれさせないこと等の取扱注意がなされていることからすると、被告らの主張する一〇倍に稀釈したから、または、本件薬液よりBHC含有濃度の高い小量の使用にとどまる家庭用薬剤で危険の発生がなかつたから危険ではないとの主張は、到底これを肯認することはできず、本件薬液の暴露を受ければ、その量いかんによつて中毒症状を起こすことの可能性は十分あると考えるを相当とする。

三  次に原告らが本件薬液の暴露を受けたか否かについて検討する。

本件薬液の噴霧方法と場所および本件噴霧場所周辺の状況については前記一で認定したとおりであり、右事実と<証拠省略>を綜合すると、次の事実が認められる。

1  本件薬液の噴霧状況は高さ約四・五メートルの鳥居型をした細い管を組立て固定し、その下を木材(本件当日の場合はソ連船ピアチゴルスク号から積降された長さ三メートルないし五メートルの外材)を積んだ車両(トラツク)を順次くぐらせ、管の上部の三箇のノズルから本件薬液を荷台の最上部より約三〇~四〇センチ上方から吹きつけるものであり、一台当りの散布量は〇・七ないし〇・八リツトルであつて、この散布に要する時間は一台当り約三ないし四秒間で約五分間隔で車輌が通過したこと、そして、六月八日に散布した車両台数は延べ約八〇台、同九日は延べ約一五〇台であつたこと、

2  六月九日の気象状況は、当日の新潟市上空の風向は気象台附近も山ノ下閘門附近も大略午前一〇時ころまでは南風、ほぼ午前一一時ころから西風に変わり、更に午後三時ころには既に北西風に変わつていたと推察されること、本件現場附近は海岸に近いふきさらしの場所で、風通しのよい個所であり、当日の風速は三メートル前後(最大六メートル)であつたこと、新潟市公害課の調査によれば、原告宅の二階は山ノ下埠頭に向かつて窓が多く、また、本件噴霧場所からみて、南南東から南西側にかけての原告宅の周辺の人家で、噴霧場所方向に窓がある家では、約七五メートル離れたところでも相当の臭気を感じ、東側の人家では臭気に気ずく人がほとんどいないが、中には、噴霧場所からは約一〇〇メートル離れている人家に居住している人で臭気を感じている人もいたこと、噴霧場所から南東方向約五〇メートル位の地点で本件輸入木材の荷上げに従事していた相当数の人達からは特別の肉体的異常を訴えている人達のいないこと、また散布作業に直接従事している作業員は異常のなかつたこと、(風向が<証拠省略>の記載どおりだとすれば、原告ら側と同方向に居住する人達は臭気を感ずることはあり得ず、従つて、北西の風を一度も感知しなかつたとする山ノ下閘門操作日誌上の記載は、直ちには採用できない。)

3  原告夫婦の行動

原告宅の一階が有限会社新潟スチール製作所の事務室および作業場、二階が住居となつているが、原告美子は六月九日朝から二階で噴霧場所に面している窓を全部開放してじゆうたんを取替えたり、畳ふきをしたり、布団を干したり、衣類の整理などをしていたが山ノ下埠頭方向より吹き抜ける風により、部屋の壁に画ビヨウで止めてあつたカレンダーが落ち、とめ直したりしていた。ところが、午後二時頃特別へんなにおいに気づき、朝八時頃から開放していた窓を閉め、その頃干していた布団も入れた。そこで原告美子は、午後三時頃このへんなにおいは、朝から鳥居を組んで噴霧している本件薬液が原因であると思つて、早速夫の原告政雄から噴霧をしている作業員にもつと原告宅から離れたところで噴霧するように頼み、原告政雄はまもなく本件噴霧地点へ至る坂道を風下から風上に向つて行き、被告会社の従業員に対し、作業場所を移動するように申入れたが、右申入にもかかわらず、被告会社は右作業を継続したこと、原告政雄は、右現場へ至る途中で、本件薬液をあび、かつ吸いこんだこと、なお原告政雄は、六月九日はほとんど一階の作業場において、従業員倉井俊三および野口セツ子とともに作業していたが、昼頃右掃除を手伝うためわずかの時間二階にいたこと、また、原告方の噴霧場所に面して開口部のない階下作業場にいた従業員には特段の異常のなかつたこと、

4  六月一〇日の午前中に原告政雄より新潟市公害課に調査してくれる様にとの連絡をなし、六月一三日、調査のため現地に赴いた石井係長から「地理的条件から薬液が住家に侵入するおそれがあるから作業方法の変更」を求められた植物防疫所および被告会社は現実に原告方に薬液が飛散したとは考えられないが、今後は作業方法の変更を検討することが了承され、その後当日の作業を再現し、被害者方にどの程度の薬液の到達量があるかを検討する話が出たが、その実験条件及び方法資料の使用方法について問題があるとして実験は行なわれず、また六月一三日原告方を訪れた公害課の当時係長であつた石井淳において、申立てどおりであれば本件薬液が付着していると考えられる二階の噴霧場所に一番近い窓を自己の所持していたハンカチ(<証拠省略>)を使用してふきとり、これを新潟県衛生試験所に分析を依頼したが、結局新潟県の公害課長の「未だ毒性がよく判らないから分析しても意味がない」として返還され、その後右資料は昭和四九年四月に新潟市でガスクロマトグラフイを使用して分析を行うまで、卦筒に入れられたまま右石井淳の机の中に保管され、分析の結果は、一回目が〇・〇二七ppm、二回目は〇・〇三三ppm、三回目は〇・〇三三ppmのBHCγが検出されたこと、

以上の事実が認められる。右認定を覆すに足る証拠はない。

してみると、右認定の事実からすると、原告らの建物のような二階建の家で二階に噴霧場所に向つて多数の窓が開いていた場合には、特に流入しやすい状態であつたと推察されるので被告会社が実施した本件薬液の噴霧による本件薬液が風にのり、徐々に拡散しつつ原告ら住家に流入し、このため、原告ら夫婦が本件薬液の暴露を受けたであろうことは十分推察できるところであり、また暴露を受けた時間は、当日の風向からすると、原告美子は主として正午ころから二階の窓をしめた午後二時ころまでの間と推認され、原告政雄は噴霧場所へ中止を求めに行く途中の時間(約二、三分と推測される)と交渉中の時間であるが、同人は噴霧場所附近では特に強く暴露されたものと考えられる。しかし、その暴露量については、本件噴霧場所で、五分間隔(一時間約一二台)で一回につき約〇・八リツトル(一時間当り約九・六リツトル)の本件薬液の噴射が行なわれたことが認められるにとどまり、そのうち原告らがいかなる量の暴露を受けたかは明らかではない。

四  更に進んで原告美子の症状について検討する。

<証拠省略>を綜合すると次の事実が認められる。

1  原告美子の六月九日以降の症状と治療情況

(一)  原告美子は、前記認定のとおり、六月九日の日は、午前中から二階で家事に専念し、一階にある工場で、作業はせずにいたところ、同日午後四時ころから、悪心、頭痛、吐き気を感じるとともに顔面紅潮し、夕食準備する元気もなく五時三〇分ころまで畳に横たわつていたが、異常を知つた夫の勧めにより六時ころ、日頃かかりつけの古沢外科医院に外来受診し古沢医師は鎮痛剤を投与するとともにベツトに休息させたが、およそ三〇分経過しても症状の改善がみられなかつたこと、また顔面皮膚症状と患者から薬剤噴霧現認状況を聴取したことなどからこれが薬剤との関連を疑い、治療方法も不明ゆえ同日の処置は打切るが、古沢名を出したり町内会に連絡したりして消毒作業を中止させるよう忠告するとともに、自らは新潟市公害課あて電話連絡することを約した。実際、同人の報告により間もなく被告会社より人が来て原告美子を見舞つている。そして、原告美子は同夜、食思不振と七時ころから下痢症状も加わり夕食もとれないまま夫に布団を敷かせて病臥したが、激しい頭痛等のため一睡もとれることなく夜を明かした。

翌一〇日午前九時ころ夫政雄が往診依頼のため古沢医師を訪れたところ、古沢医師は自ら電話ダイヤルを新潟市公害課にまわしたうえで事件発生の通報をさせている。また午前の往診時、被告会社に消毒液について問いあわせたことを告げるとともに、神経系統が侵される危険のあることを心配したが、原告美子の諸症状は悪化し、すでに歩行困離となつていたため、同日午後、夫と看護婦に両脇を抱かれ車で古沢医院を再度受診し、点滴治療を受けるとともに入院の許可をえたが、同日は、病院に泊まるのも、自宅に帰るのも大差ないと思い帰宅したこと。

(二)  古沢東松医師の診察所見結果と処置

(1) 六月一〇日 往診と外来各一回、いつたんは入院措置をとつた。

所見 血圧一一二から七八、発熱なし、頭痛、吐き気、食思不振、全身倦怠、顔面熱感および部分的に軽い発赤を伴う丘疹を認め軽度のかゆみを訴える。

処置 副腎皮質ホルモン剤等の投与、ブドウ糖ソーアミンの点滴

(2) 六月一一日 往診一回

所見 血圧一〇四から六〇、食思不振、頭痛、顔面紅潮の皮膚症状は軽減していたがまだ認められた。

口唇部のシビレ感が注目される。

処置 鎮痛鎮静剤フエノバール静注等、点滴続行

(3) 六月一二日 往診二回

所見 頭痛激しく吐き気あり、食思不振、全身倦怠、脱力感、顔面軽快、口唇部シビレ感は不明、意識状態興奮状況。

処置 フエノバールを二回で計三アンプルとさらにより効力の強い鎮静剤コントミン一アンプルを各注射、本日よりブドウ糖ソーアミンにリンゲルを追加して点滴続行。

なお、古沢医師は同日往診に被告会社の常務外一名を同行していること。

(4) 六月一三日および一四日 往診各二回

古沢医師のカルテはこの間の所見と処置内容の記載が欠落しているのであるが、診療報酬請求点数の記載内容からして、一二日時点の諸症状は継続し同様の処置を受けていたものと認められる。

それにとどまらず、一三ないし一四日ころから諸症状はより悪化し、身の回りの用すら足せず病床で便器を使う状態が同月二〇日ころまで続いた。

(5) 六月一五日 往診一回

所見 血圧一〇六から六〇、全身状態やや好転か、食欲軽度、顔貌そう悪くない、体おこすとめまいあり、頭痛、便秘、一二日から複視あり。

処置 リンゲルおよびブドウ糖ソーアミン点滴続行等

(6) 六月一六日 往診一回

所見 血圧一〇四から六〇~五八、昨日静かに寝ていたが意識喪失あり、まとまらない話をするが本人は何をいつたか全く記憶ない、朝一回嘔吐、しかし全身状態はそう悪くない、午前塚田医師往診。

所置 点滴前同様続行等

その他 原告美子の既往症たる慢性扁桃炎の主事医塚田耳鼻科医が同日診察したところ、これが異常は認められなかつた。

(7) 六月一七日 往診二回

輸血二〇〇ml、点滴も前同様続行等

なお、古沢医師は、原告美子が食欲がなくやつれがめだち、単なる注射や点滴だけじや大変だ追つつかない、本人の食欲を出し訴えを軽減する医師の手段としてもはや万策つき、衰弱をおそれ、被告会社社長に電話にて協力を求めその従業員の献血をえて輪血を行つた。

(8) 六月一八日 往診二回

朝やトイレに行くとき貧血感じる、頭痛、食欲喪失し吐き気あり殆んど食事できない。

(9) 六月一九日 往診二回

古沢医師の外来慢性骨髄炎患者の献血二〇〇mlがなされたこと。

(10) 六月二〇日 往診一回

所見 血圧一三二から八四、頭痛まだ比較的強い、全身状態改善、少し食欲でてきた、めまいや吐き気なし、顔貌比較的よい、露出した両前腕に粟粒大の粃糠認める、手甲や首や顔にはない、発生時期不明なるも一九日着替えしていて発見とのこと、一三ないし一四日ころかゆみはなくなる、急性皮膚炎の後期症状と認める。

処置 原告政雄が連れてきた献血者により輪血二〇〇ml

(11) 六月二二日、二三日、二四日往診各一回

所見 血圧一一六から七二、食欲軽度、頭痛とめまいは不明、関節痛訴えるが他覚所見なし、膝蓋腱反射消滅、頭痛視力障害で視力低下し新聞読めない。

処置 鎮痛剤投与等

(12) その後原告美子は古沢医師に七月七日、一一日、二二日、二五日、三〇日、八月四日にそれぞれ受診し、新潟大学神経内科の処方した注射や投薬を受けている。

(三)  斎藤恒医師の診察所見結果と処置

(1) 六月二〇、二一日沼垂診療所斎藤医師が往診し、現症の経過につき聴取し、古沢医師の所見とほぼ一致する結果を得た。

所見 結膜充血、手足の反射が全体的に低下、右下腿と両腕のとくに橈骨側の知覚低下、瞳孔縮少反射やや減弱、目の周辺がぼけてよくみえないと訴える。右前腕部に米ぬか様の落屑。

なお、血沈、胸部レントゲン、心電図その他の一般検査を実施した。

(2) 斎藤医師は、皮膚症状、結膜(粘膜)症状、吐き気、下痢等の胃腸障害、口唇部のシビレ、四肢全体の反射減弱、めまい、興奮状態、記憶力減退、重複視等々の神経症状等のBHC中毒症例と一致する所見および聴取結果がえられたことから、BHCを含む何らかの薬剤による農薬中毒であろうと診断し、精査のため新潟大学神経内科の受診を勧め、その後井沢医師に紹介した。

(四)  新潟大学医学部附属病院神経内科の精査と診断

(1) 原告美子は新潟市公害課と斎藤医師の紹介により新潟大学神経内科を六月二七日と三〇日の外来受診に続き、七月一日から七日までの一週間精査と治療のため入院した。同科では神林、広田、井沢、白川等の医師と椿主任教授が、諸検査を実施して精査するとともに、眼科、皮膚科、歯科の関係各科や新潟県衛生試験所の協力と意見を徴しながら、かつ、既往と現症の経過について古沢医師および斎藤医師のカルテと説明、さらには新潟市公害課の報告書を参考に供しつつ、診察と治療にあたつた。

(2) 六月二七日と三〇日の外来所見結果は、患者からの現症経過にかかる聴取結果は前述とほぼ同旨のものであり、既往歴との関連における診察結果は、血圧測定値は一二〇から七四で格別低位とは認められず、扁桃腺も小さく異常は認められなかつた。

一方、神経症状にかかる診察結果は眼球角膜反射左右で差あり、眼底視神経(乳頭)がぼけ、かつ、充血、右足首背屈筋力低下、ラセギユ-徴候左右とも陽性(座骨神経の異常)、右上下肢のバレ-のサイン低下(麻痺の疑い)、右膝蓋腱反射消失、左右アキレス腱反射滅弱、ニーヒール(膝かかと)試験若干へたで、ロンベルト試験(佇立閉眼で動揺の有無)で倒れないが肉眼的に動揺を認め共同運動失調認める。

顔面両側知覚低下し左より右が強い、表面右半身全体のとくに触覚と痛覚低下し、左下腿も知覚低下、背面は四肢末梢部のみ異常、振動覚若干低下、なお歩行時右大腿付根部分に脱力感あり。

右診察結果から、井沢、広田両医師はともに精査のため入院の必要を認め、その措置をとつた。

(3) 七月一日の入院時、右神経系統の諸異常は総じて右半身不全麻痺となり、七月三日には右下肢膝蓋およびアキレス腱反射はやや亢進の状態に転じ、七月七日には右半身不全麻痺は軽度となり退院に至つた。

検査の異常所見としては、白血球好酸球五%と軽増を認めたほか、七月二日時点の血中総BHC〇・〇二五ppmα〇・〇〇九ppm、β〇・〇一〇ppm、γ〇・〇〇六ppm、δ〇・〇〇〇ppm、七月一日時点の血中ブロム値五五・九mg/dlであつた。対照例は、血中総BHC値につき新潟県衛生試験所の資料として県職員の場合〇・〇一五ppmで、血中ブロム値につき新潟大学職員数人の場合、〇ないし五mg/dlであつた。また、古沢医師からの聴取結果によつても原告美子に対しブロム化合物を含有しうる薬剤が既往において投与されることはなかつた。

なお、治療として解毒剤タチオン四〇〇mg静注で著明な効果がえられたこと。

(五)  退院時に神林医師は診察に関与した前記各医師との検討の結果(1)ないし(6)の総合判断をなし、原告美子の症状はパインサイドC中毒と診断した。

(1) 被告会社によるγBHCリンデン二・五%EDBジブロムエタン二五%を含む混合油剤たるパインサイドC原液の一〇倍稀釈液に暴露し、その直後に諸症状が発現した。

(2) 発現した諸症状がBHCリンデン+EDB一・二ジブロムエタン(主としてγBHC)中毒症例に認められる一般症状と合致する。

イ 皮膚、粘膜症状 顔面および両腕露出部の接触性皮膚炎、結膜炎とそれによると思われる重複視

ロ 胃腸症状 吐き気、嘔吐、下痢、食思不振

ハ 神経症状 強い頭痛、めまい、手足脱力感、口唇部シビレ、意識喪失および興奮状況、眼底視神経(乳頭)炎、四肢反射低下、右半身および手足末梢部の知覚低下、共同運動失調等々

(3) 血液検査結果 暴露後三週間を経過しているにもかかわらず、なお血中総BHC値は対照例に比して若干高く、血中ブロム値にあつては異常に高値であつた。この高度のブロム値は被告会社の噴霧液の成分との関係にて検討するときには、血中BHC値のもつ意味を判断する重要な資料であり、これらは総じて、パインサイドCの暴露を裏付けるものである。

(4) 他原因の否定

(A) 血管障害 意識障害、精神症状が強度に認められた点が普通の脳血管障害等では説明できない。

(B) 心因性 皮膚炎と反射の推移の説明困難

(C) 低血圧 大学受診時一二〇から七四で、その後も最高血圧一〇〇以上を示し、低血圧症とはいえない値、既往における低血圧症状の有無は別として、診断時点では問題とすべき症状ではなく低血圧だけでかかる諸症状を惹起するとは全く考えられない。

(D) 慢性扁桃炎 異常所見の認められないことを確認済である。

(5) EDB一・二ジプロムエタンの関与の可能性 原告美子の右諸症状はγBHCの単独の急性中毒としても診断できるものであつたが、EDBの公表された人体被害例は発見されず対照されなかつたけれども、当該薬剤自体の組成や殺虫能力ないし毒性が無視できないものであつたので、これが影響の可能性を考慮して、噴霧製剤名をとり診断名が決定されたものであること。

(6) 関係各科の所見

眼科 眼底に異常認めるも中毒との関係は否定も肯定もできず、二週に一回程度の経過観察の要を認める。

歯科 歯ぐきに色素付着あるも、有機塩素中毒にみられるものかどうか月一回程度経過観察する要を認める。

皮膚科 現在は中毒とみられるものは特別残つていない。

(六)  新大退院後の診察治療経過概略

(1) 神経内科退院後も原告美子は前述のとおり古沢医師に外来受診していたが、古沢医師は大学の処方と依頼にすなおに従つて解毒剤タチオンや神経剤ビタメジン等の静注や投与を行つていた。大学の診断に異議を述べることがなかつたこと、

なお、診察所見としては、七月二二日、三〇日、八月四日に両足の膝蓋腱反射滅弱ないし消失を認めていること等である。

(2) 沼垂診療所の斎藤医師らはその後昭和四五年八月六日以降、新潟大学の協力と精査や意見を欲しつつ、診察と治療を続行した。

八月六日往診時の所見概要は、前日の意識喪失、顔面蒼白、知覚および反射の全体的低下、膝蓋腱反射低下、全身倦怠著明、性欲減退等であり、神経剤ビタメジンの静注を行つていること、そして同医師はその後も神経症状改善のための点滴療法を実施し、これらの経過から、急性中毒症の遷延と判断していること。

(3) 新潟大学神経内科広田医師は、昭和四六年八月三一日、九月七日、四七年七月八日に診察しているが、斎藤医師の場合と同様神経内科のパインサイドC中毒症診断の確信を強めており、そして、原告美子の退院後の経過にみられる諸症状を急性中毒症の遷延形と診断していること。

2  他方、原告美子は六月九日のかなり以前から古沢医師に診療をうけており前記症状と類似症状があつたことが認められる。即ち、

(一)  昭和四一年七月二九日初診時より同年一〇月末までの病歴として、食思不振、頭痛、めまい、心悸亢進等の症状で、低血圧症、貧血と診断され、対称療法を受けていたが、同症状は改善をみないうち、九月八日には低血圧症の原因の一つとして胃下垂が確認され、この間一〇月一七日には脳貧血を起している。

(二)  昭和四一年一一月より昭和四二年一二月中旬までの病歴として、低血圧及び原因不明の発熱並びにそれらに伴うところの食思不振、全身倦怠、腰痛、関節痛、筋肉痛、頭痛、めまい等を訴えて通院人院し、血液検査の結果、化膿巣が発見されている。そして、この間六回にわたり脳貧血を、昭和四二年一〇月二日には視力障害を、同年一〇月三一日には右半身の知覚鈍麻を訴え、同年七月三一日には背部両上肢に急性皮膚炎が認められている。

(三)  昭和四二年一二月一一日から同月末までの病歴として、頭痛、めまい、悪心、視力障害等の症状が悪化し、入院の結果、腺喬性扁桃炎が確認され、慢性悪急性扁桃炎と判断され、原告美子の訴える自、他覚症状は胃下垂による低血圧と慢性悪急性扁桃炎によるものと診断されている。

(四)  昭和四三年一月より昭和四四年一二月までの病歴として、低血圧、全身倦怠、頭痛、めまい、悪心、食思不振等の症状が継続し、この間四回にわたり脳貧血を起し、昭和四三年六月一八日には頸部、背部の急性湿疹、同年一〇月一二日には顔面急性皮膚炎等に罹患している。

(五)  昭和四五年一月より六月八日までの病歴として、胃腸障害、全身倦怠、腹痛、めまい等を訴え、頻繁に通院し加療を受けている。

なお、右(一)ないし(五)の期間を通じ、低血圧症が強い時にはしびれ感、脱力感も存している。

(六)  昭和四五年六月九日午後以降においては、頭痛、悪心、全身倦怠、食思不振、顔面熱感等を訴え、六月一〇日には顔面、頸部の皮膚炎が確認され、六月一一日には口囲のしびれ、六月一二日には重複視、六月一五日にはめまい、六月一六、一八日には貧血の各訴えが加わり、六月二一日には両前腕に急性皮膚炎の粃糠が確認され、六月二三日には頭痛、視力障害、めまい、膝関節痛を訴え膝蓋腱反射が低下していることが確認されている。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

3  ところで被告らは沼垂診療所斎藤恒医師および新潟大学医学部附属病院神経内科医師らの六月九日以降の原告美子の症状はパインサイドC中毒と診断しているが同女の六月九日以前の既往症と極めて類似し、また、中毒と診断した経緯をみても、その論拠が明確でない旨主張する。

そこで右の点を検討するに、原告美子が本件薬液の暴露を受けたことは前記認定のとおりであり、また前記認定事実と証人古沢東松の証言原告美子の本人尋問によれば同人が可成り以前から胃下垂による低血圧症ないし慢性扁桃炎を主因とする低血圧、全身倦怠、頭痛、めまい、食思不振等の症状が継続し、また皮膚炎にかかり易い病弱な体であつたことからすると、少量の有機物質の暴露を受けただけでも、その毒物中毒を惹起しやすい体質の保有者であることが窺われること、また、六月九日以降の様に、長期に亘り入院ないし加療に専念しなければならぬような状態になかつたこと、六月一二日、古沢医師が原告美子を往診した際、同女がシユミーズ一枚で寝室からはい出して来て、自分をこんな目に合わせた被告会社をほつておけないなどぶつぶつ云つており、意識がもうろうとすることがちよくちよくあり、同日夜ころから目の異常が出現し、原告夫婦は小学五年の子供を原告美子の実家にあずけたこと、六月一三日には、原告美子は起き上ることが不能になり、重複視が発現し、口唇のしびれを訴え、古沢医師もこの種中毒についての具体的知識を持ち合せなかつたが、原告美子の皮膚炎は油性の外部刺激によると判断されるが他の諸症状は原告ら両名とも何が主原因か判らないとし、新潟県衛生試験所にEDBおよびBHCの薬害について照会したこと、更に六月一六日、原告美子は同女の既往症たる慢性扁桃炎の主治医である塚田医師に診断をうけ、その異常は認められなかつたこと。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右の認定事実からすると

(一)  斎藤医師、新潟大学医学部の広田医師らの診断の結果は原告美子の自、他覚的諸症状の基本は、皮膚症状、胃腸症状、神経および精神症状であると考えられ、これらは前記認定のBHCの一般症状と合致するものであり、且つ本件診断書作成後の原告美子の諸症状もまた右中毒症であることを裏付けていること、

また、大学での検査結果によれば、ことに血中ブロム値は五五・九mg/dlと検出されたが、既往においてブロム含有剤服薬の事実はなく、被告会社の噴霧原液はブロムを主成分としたEDB一・二ジブロムエタン二五%を含有していたこと、

そして右パインサイドC中毒を診断した医師らが、それぞれ専門的知識を有し、しかも適切な設備を有するところでの総合所見の結果であること。

(二)  また、右の事実に加え、原告ら住居とほぼ同方向にあり、本件薬液散布場所から約七五メートル位離れたところに居住し、原告方と同様二階建で散布場所方向に窓を有し、右窓を開放して二階で休んでいた際に臭気を感じていた宮永リヨも広田医師、新潟大学椿教授の診察の結果、

(1) 噴霧液の暴露する機会がありその直後に発症したものであること、

(2) 発現した次のような症状自身も原告夫婦と類似性が認められ、BHC中毒症例と矛盾しないこと、

所見 悪心(吐き気)、嘔吐、食欲不振、胸苦しい、頭痛、頭重感、めまい感があり、神経症状は目だたず、一ケ月くらい体がふらふらしていた点に若干神経系統への影響が疑われる、

(3) 家族の卯弥子も類似症状を呈していたことから、宮永リヨの症状は本件薬液による中毒症状と判断されたこと、からすれば、原告美子の本件薬液の暴露に引続き発生した諸症状は、仮に本件治療中に持病の発現が一部あつたとしてもその主因は本件薬液に含有するBHCγ・EDBによるパインサイドC中毒に基づくものと認定するのが相当である。

(三)  もつとも原告らの症状についてパインサイドC中毒であることについて疑義を持つ古沢医師においても、同人の証言からすると原告らの症状がパインサイドC中毒によるものではないと断定しているものではなく、従前からの原告らの既往病状と本件中毒症状に類似の点が多かつたことと、本件薬液の暴露をうけたか否かに確信がもてなかつたことと、本件中毒症についての充分な知識をもつていなかつたこと等により疑点を示しているものと推察されるので、右古沢医師の疑義は前記認定を左右するに足りるものとは認めがたいし、また証人後藤真康の証言も同人が残留農薬等の分析等についての専門家であつても医師ではなく、同人の中毒症例に関する解説は尊重するにしても証言自体特に前記本件中毒症状の診断結果を左右するに足るほどのものとも認めがたいところである。

また前記のように本件薬液散布をしていた作業員、散布場所附近の山ノ下埠頭で作業をしていた人達にパインサイドC中毒症に該当する症状が発生していないことは認められるが、問題はそれらの人が現実に本件薬液の暴露を受けなければ発生するに由ないところ、その点についてこれを肯認する資料のない本件にあつては、右の事実は、前記認定をなすについて障害とならず、また原告らの隣接民家から多数の中毒症患者はでていないが、これは検証(第一日)の結果と<証拠省略>からすると原告ら住宅二階が特に流入し易い状況にあり、他の民家が宮永リヨ方を除いて、当時平屋建てで噴霧場所方向に窓のない家が多いことから、右の様なことになつたものと考えられるので、この点も前記認定の障害とはならない。

五  原告政雄の症状について

<証拠省略>を綜合すると次の事実が認められる。

1  原告政雄の六月九日以降の症状と治療情況

(一)  原告政雄は、六月九日は特段の症状の発生はなかつたが翌一〇日午後八時ころ晩酌を始めた数分後、同人の適量は酒三ないし五合くらいであるところわずか一合も飲まないうちに、腹痛、頭痛等の諸症状が急激に現われて畳をころげまわる状態に陥つたこと、

(二)  林医師の診療経過

六月一〇日年後より食思不振、全身倦怠、下痢三回、午後八時に腹痛、悪心、嘔吐が発症し、夕食時に飲酒しわずかに飲んだ後悪心、嘔吐その他に頭痛激しかつたこと、夜林医師に注射してもらい、林医師の往診時、血圧九〇から六〇、突然腹痛発作、嘔吐、頭痛、胸部苦悶感、胸部と腹部異常なし、脳圧症状なし、グルタチオン、チオクタン、ブドウ糖、ビタミンB1・C、フラニン(B2)等の肝疵護、肝機能増進ないし解毒効能を意図した薬剤の注射と投与、その他整腸剤プリンペラン投与、なお、同医師は翌日もほぼ同様の処置をとつていること、林医師は当初食中毒かと疑つたこと、

(三)  古沢医師の診療経過

六月一一日血圧一〇八から七八、本日ミルク一本飲んだが吐き気なし、まだ激しい頭痛あり、腹部とくに異常なし、鎮痛鎮静剤フエノバ-ル注射、ブドウ糖ソーアミン等の点滴

六月一二日食思不振、頭重感、全身倦怠、不眠、前夜心悸亢進、フエノバール三アンプルを二回にわけて注射、点滴続行

六月一三日と一四日診療報酬請求点数の記載内容からして、点滴は続行され同様の処置を受けていたものとうかがわれること。

六月一五日全身状態良好あるいは比軽的良好、しかし頭重感と食思不振あり、咋日より少し食べるようになつた、朝下痢、腹痛なし

六月一七日食後下痢、吐き気と頭痛まだあり、字を書く際手が震える、頭重感、忘れつぽくなつた。精神的疲労か、フエノバ-ル注射、ブドウ糖ビタミンB1・C等静注、下痢止め剤投与がなされたこと。

(四)  斎藤医師の六月二〇日診療時の所見ないし現症経過について右に補足すべき事項は、頭痛と食思不振著明、忘れつぽい、前より視力が低下したこと。

(五)  新潟大学神経内科井沢、広田医師および椿教授らによる六月二七日と七月一日診察の結果両手指脱力感、目がかすむ、視神経乳頭境界不鮮明で発赤充血しており両側視神経乳頭炎、肝機能障害一応あり、バレーのサインテストで右上肢若干回内現象をおこす、上股腱反射やや低下したことが認められたこと。

(六)  広田医師は昭和四五年七月三〇日、井沢医師および椿教授の意見を徴した結果、

(1) パインサイドC噴霧液に暴露して、翌日発症し、それが、ごく少量の飲酒直後に急速に発現したものであること。

(2) 発現した吐き気、嘔吐、食思不振、頭痛、意識レベルの低下、目の痛み、手指脱力感等および、輻輳調節障害、偽性視神経乳頭炎等の自・他覚的諸症状は、比較的軽く定型的ではないが妻美子と類似するものであり、かつ、BHC中毒症の一般症例とも合致すること。

(3) 血中BHC濃度は対照と差が認められないが、暴露後二〇日以上経過後の測定結果であつて中毒症を否定する根拠とはならないこと。

等に基き、原告政雄の症状は原告美子と同様パインサイドC中毒症と診断したこと。

2  他方原告政雄は原告美子と同様六月九日以前から古沢医師から診療をうけており(前記症状と類似症状があつたとの被告らの主張から検討すると)

(一)  昭和四二年一月六日初診時より昭和四四年一二月までの病歴として、食思不振、上腹部の自発痛、右側腹部自発痛等を訴え、慢性胃腸炎と診断され、対称療法を受けていたが、この間昭和四四年八月一二日には視力障害、眼痛を訴え、同年八月二五日には検査の結果、脳脊髄低圧症候群(頭痛、全身倦怠感、関節痛、筋肉痛の症状を呈す。)と診断されていること。

(二)  昭和四五年一月より六月九日までの病歴としては、胃腸障害、関節痛、腹痛等に対する治療を受けたこと。

(三)  昭和四五年六月一〇日以降は、食思不振、全身倦怠、下痢、頭痛、悪心、嘔吐等を主として訴え、六月二五日には視力障害(アレルギー性結膜炎)を七月一日には頭痛、頸痛、食思不振を訴え、七月六日には頭痛、頭重感、全身倦怠、四肢脱力感を訴え、腱反射が減弱し、血圧が九八~六〇であること等が確認されているが、これらの目訴症状は主として自覚症状のみで、他覚的症状としては特記すべきものがないとされていること。

以上の事実が認められる。右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、原告の六月九日以降の症状と六月九日以前に古沢医師にかかつていた諸症の間には本件症状が比較的軽度であるため自・他覚的症状とも必らずしも明確な差異があるとは云えないが、原告政雄の本件薬液による暴露時の状態並びに原告政雄の当時の心身の状況からすると、パインサイドC中毒症特有の定型的諸症状が顕著に現われてはいないが、前記原告美子の当該箇所で認定した諸状況と合わせ考えると、原告政雄もまた本件薬液暴露によりパインサイドC中毒になつたと認めるのが相当である。

六  そこで進んで被告会社が本件薬液散布にあたりいかなる注意を払つてこれをなしたかについて検討する。

<証拠省略>を綜合すると、

(1)  輸入者である岩手県貿易振興会から委任をうけた新潟植物検疫協会が本件輸入木材を埠頭から本消毒場所への輸送方法を陸路輸送としたことから、横浜植物防疫所新潟出張所植物防疫官あてに管理責任者を被告会社とする陸上貯木陸路輸送願が昭和四五年六月八日に提出され、同日右新潟出張所長はこれに対し輸入木材検疫要綱第一六条二項、同要綱別表2の(1〇)に従つた本件薬液の使用と、害虫分散防止のための薬剤散布方法をなすことおよび散布にあたつては、散布作業従事者は勿論のこと、周囲に薬剤が飛散しないように危険防止に万全を期すことを条件として許可したこと、

(2)  被告会社は、現場責任者を新井田貞一(本消毒の危害防止責任者でもある)として担当させたが、同人は横浜植物防疫所新潟出張所がなした輸入木材の防疫に関する講習にも出席しておらず、そのためか、本件薬液の性質、薬液の大量使用による危険性等についての充分な知識もなく、且つ責任者としての自覚も薄く、主として消毒に便利な場所として本件散布場所(最も近い人家まで約二五米位で、しかも公共道路上)を決め、本件薬液の散布方法が、高い鳥居上のパイプの下から高圧散布する薬液の下を定期的に木材を積載する自動車を通過させる方法をとつたのであるから風向、風速に特に注意を払わねばならぬのに何んら危険防止のための具体策を講じなかつたこと、原告政雄から消毒中止ないし場所の移転を求められても、これを無視して強行したこと。六月一〇日の日はさすがに中止したが、その後原告らの抗議、出張所長らの勧告もあつて同月一五日から本件散布場所より約六〇メートル位後退した山ノ下埠頭の岸壁のすぐ側で背負式手動噴霧器を使用して消毒業務をなしたこと、

が認められる。右認定を左右するに足る証拠はない。

してみると、被告会社は本件消毒業務について、前記の条件がついており、また輸入木材本数から大量の薬液の使用が予定されているのであるから、その責任者の選定、散布場所、散布方法について特に充分な注意を払い、風向、風速の変化に対処できる体制をとつて散布に伴う事故発生を防ぐ義務があるのに、これを怠り、右認定の如く、適切な責任者を選任しなかつたのみならず、安全確保について何んらの措置もとらずに慢然と本件消毒作業をなした結果、本件事故を発生させたものと認められるので、被告会社に本件薬液散布について過失のあつたことは明らかである。

そうすると、被告会社は原告らが本件薬液暴露により生じた損害を賠償する責任がある。

七  原告らの損害

1  逸失利益

<証拠省略>を綜合すると、

(一)  原告政雄は昭和三九年ころからスチール家具製造業を営み、昭和四一年に有限会社新潟スチール製造所を設立し、原告政雄は会社代表者となり、主として製造販売を担当し、原告美子は主として材料の仕入見積、帳簿整理、製品の配達、集金等の業務を担当し、外に従業員二名を雇傭して同会社の経営にあたつていたが、会社経営の主力は原告ら夫婦であり、いわゆる会社形態の個人企業であつたこと、

(二)  右会社の売上高の推移は原告ら主張のとおりと認められ、昭和四五年が、昭和四一年度から昭和四八年度までのうち最も低く、右売上高が減少した理由の主たる原因が原告らが本件事故にあい、そのため、充分な稼動ができなかつたためと、仕事が出来ないことによる受注の減少ないしこれに基因して従業員一名が退職したことにあると考えられること、そして原告らの健康が回復し、再び得意先を回復した昭和四七年度からは売上高も利益も大幅に伸びていることからすると、昭和四五年度は、原告らが本件事故にあわなければ、昭和四二年度から昭和四八年度にいたる売上高の変遷を考慮すると、少なくとも同年度は金三〇〇万円程度の売上増が見込まれ、同年の損金の相当部分がなくなつていたものと推認できること、

(三)  原告政雄は本件事故発生当時は月給が一〇万円、原告美子は金二万円位を得ており、原告政雄は本件事故にあつた後三週間位後から稼動を始めたが、原告美子の入院さわぎなどあり二ケ月程度は充分な稼動は出来ず、その後も約一年位は稼動について若干の制限をうけていたこと、他方、原告美子はニケ月間位は全く稼動することができず治療のため入院、加療等に専念し同女はその後昭和四八年ころまで引き続き本件事故により症状回復のために治療をうけていたことからすると、稼動し始めてから一年間位は相当程度の稼動の制限があつたこと、

が認められる。右認定を左右するに足る証拠はない。

(四)  ところで、本件の如く個人企業的経営者でしかも原告夫婦が二人三脚的状態で経営にあたつている場合には、その企業の実体と経営者の経営に際しての労働方法等を考慮し、事故による労働力喪失が右経営に及ぼす影響を考え、その逸失利益を算定し、またその稼動率の低下も右の観点から考えるのが相当と思料されるので、この観点から前記諸事情を検討すると、原告らの昭和四五年度の月収は合わせて二〇万円程度が期待されたとの主張は、これを容認できるところであり、また稼動減に基く損失率が原告政雄において一〇分の一、原告美子において一〇分の五と評価できるので、原告ら両名の全体としてのそれは一〇分の三程度であつたと認めるを相当とする。

してみると原告ら両名の経済的損失は請求原因第四の三の算式は相当であり、計数上各自五六万円となる。

2  慰藉料

前記認定の諸事情、即ち本件薬液の噴霧によるパインサイドCの暴露に対し、原告らが全く無防備な状態のところに本件被害が発生し、その結果夫婦二人でささえて来た会社の発展が阻止されたこと、原告美子の場合には長期の加療が必要とされ、後遣症的神経症が未だ残存していること及び本件に現われた一切の事情を綜合すると、原告らがうけた精神的損害に対する慰藉料額は原告美子において金二五〇万円、原告政雄について金一〇〇万円と認めるのが相当である。

3  弁護料

弁論の全趣旨に照らし、原告らが弁護士中村洋二郎に対し手数料および報酬として請求認容額の一割五分の割合による金員を支払うことを約したことが認められるが、本件事案が相当に困難な立証活動を伴つたこと、認容額、その他一切の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係ある損害としては原告美子において金四六万円、原告政雄において二三万円と認めるのが相当である。

八  被告国に対する請求について

1  国家賠償法第一条に基く請求について

<証拠省略>を綜合すると、次の事実が認められる。

(一)  輸入者岩手県貿易振興協会はソ連邦より木材を輸入し、右輸入木材二、七六三・一五立方メートル(七、一五八本)は、ソ連船に積載され、昭和四五年六月六日新潟港に入港し、同日午後二時頃山ノ下埠頭のほぼ中央部附近に接岸した。そして同月八日右輸入木材について右貿易振興協会の委任をうけた新潟植物検疫協会から、横浜植物防疫所新潟出張所植物防疫官あてに、植物輸入検査申請(植物防疫法八条一項、同法施行規則一〇条)および木材天幕くん蒸承認申請(輸入木材検疫要綱第二の二)がなされ、右本消毒する積木場まで右木材の運搬については水面使用ができないため、全量山ノ下埠頭の岸壁から新潟市河渡にある金清木材株式会社の積木場まで陸取り輸送することになつた。そしてその際、右検疫協会から、<1>輸送期間を六月八日から一〇日とする。<2>管理責任者を被告会社としてEDB二・五パーセントおよびBHCγ0・二五パーセントを含む混合油剤を木材堆積表面一平方メートル当り三〇〇立方センチメートルを散布する。<3>この散布にあたつては、周囲に薬剤が飛散しないよう危害防止に万全を期する、という条件で陸上貯木陸路輸送許可願が提出された。

そこで、右陸路輸送許可願申請に対し、同日新潟出張所長は、

(1) 右許可の条件としての害虫分散防止のための薬剤散布方法が輸入木材検疫要綱別表二の匂に合致していること、

(2) 薬剤散布並びに木材輸送の管理者である被告会社は、昭和四五年三月から四月にかけて本件薬液散布についての新潟出張所のなした指導をうけていること、また同年五月中に一回その害虫分散防止についての実績があり、その際実施方法の適否について、新潟出張所の防疫官である有田技官が立合い確認していること。

から、輸入木材検疫要綱第一六条一項に基き、右申請を許可したが、承認にあたつては、山ノ下埠頭でやることのみ承知し、そのいかなる場所でいかなる条件下のもとで現実の本件薬液散布をなすかは、確認せずに許可したことが認められる。右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで植物防疫法、同施行規則、輸入木材検疫要綱、植物検疫くん蒸における危害防止対策要綱および輸入植物検疫規程を検討すると、本件の如き輸入木材の消毒にあたつては、港域又は港頭地域内での本消毒が原則であり、これが不能の場合でも輸送は水路輸送を原則としていること、本消毒に当たつては、その防疫効果を確認するため、また有毒薬剤を使用するためその危害防止対策が定められており、防疫官の立会、報告が要請されているが、本件の如く選別を行なう場所又は消毒を行なう場所への輸送にあたつての消毒の場合には、その目的が害虫分散防止のための薬液散布であり、その使用薬液が本消毒の場合と異なり、直接は、「毒物および劇物取締法」所定の劇物に該当しない薬液を散布することもあつて、害虫分散の目的を達することが第一義的に考えられ、本消毒に際して、なされる様な、相当に厳重な危害防止対策が定められておらず、また防疫官の立会は勿論、実施場所、実施方法の確認等も要請されていないこと、また本消毒においても、その消毒業務は輸入者ないし管理責任者が行ない、直接国が消毒業務は行なわず、輸入業者らにまかされていること、また本件の如き消毒の場合には、せいぜい行政指導により防疫のための消毒実施が適正に行なわれることが期待されているに留まる状態であることが、認められる。

してみると、新潟出張所長であつた上野輝雄は、本件の陸上輸送許可願申請に対し、法令上は、右許可の目的に沿う審査範囲以上に、第三者に対する危険防止を考慮して行政上の措置を講ずることまでは要請されておらず、また薬液散布の際の第三者の危険防止に対する現実の配慮義務は、当該具体的状況下においてこれを実施する輸入者および管理責任者が負うべきしくみになつており、従つて前記の如き事情のもとでの許可に違法ありと認めることは躊躇せざるを得ないところである。

従つて、原告らの被告国に対する国家賠償法第一条に基く主張は、許可権限をもつ被告国の出先機関である新潟出張所長上野輝雄の職務行為が、適法である以上、この点の主張は採用しない。

2  国家賠償法第二条に基く請求について、

原告らは、被告国は、輸入木材について完全かつ安全なる消毒を行なうために輸入業者に対し、広汎な監督権限と義務があり、自らもその物理的な場所や施設を設ける義務があり、特に新潟港の場合の様に輸入木材の陸あげが激増しつづけ、住民の消毒業務から危害防止が問題となる場合には、「完全かつ安全に消毒すべき場所」を設置しなければならないのに、これを放置するのは重大な義務違反であるとし、右の違反は国家賠償法第二条のその他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵がある場合に当たると主張するけれども、国家賠償法第二条の「営造物の設置又は管理に瑕疵」ある場合とは営造物が通常備えるべき安全性に欠ける場合をいうのであるから、たとえば本件にあつては、営造物たる、陸路輸送に必要とされる害虫分散防止のための薬液噴霧のための施設が存在していることがその前提となり、右施設が通常備えるべき安全性に欠けている場合をいうものと解されるところ、本件では右施設が当初から存在しないのであるから、原告らの主張はその前提を欠き主張自体失当というべきである。

かりに、新潟港の港湾施設全体が、国家賠償法二条にいう営造物に該当し、その設置者である被告国において、右のような薬液噴霧のための施設を設けないことが、営造物たる港湾の通常備えるべき安全性に欠けている場合にあたるとの見解をとつたとしても、原告らの本件被害は、前記認定のように、もつぱら被告会社が、横浜植物防疫所新潟出張所の付した許可条件に従い、適切な害虫の分散防止のための薬液の噴霧場所を選択するなど、付近の住家へ薬液の飛散を防止するために適切な措置をとらないで、過失によつて右許可条件に違反し、本件現場で前記認定のような噴霧方法をとつたことによつて発生したものと認められるので、被告国が右のような薬液噴霧の施設を設置しないことと、原告らの本件被害との間には相当因果関係が認められないのである。このことは、被告会社が本件薬液の噴霧を行つた六月九日当時、本件噴霧場所以外に、薬液噴霧をなすべき適当な場所は他にいくらでもあり(<証拠省略>によれば、山ノ下埠頭は当時本件ソ連船以外は使用しておらず本件薬液の噴霧場所として他の適当な場所を使用することになんらの障害がなかつたことが認められる。)また前記認定のごとく同月一五日以降、原告らの抗議、中止要請によつて被告会社が、本件薬液の噴霧場所を原告ら宅から約一〇〇メートル以上離れた山ノ下埠頭の岸壁直前に移して背負式手動噴霧器による消毒に改めた後は、本件のような被害が発生したことを認めるに足る証拠がないことからも明らかである。

よつて原告らの国家賠償法二条に基づく請求は理由がない。

3  民法七〇九条に基く請求について

本件許可が不適法であるか否かの点は前記1で認定したとおりであり、「完全かつ安全な消毒すべき場所」の設置をしないで放置した点が問題となるとすれば、前記認定の如く本件事故発生は、被告会社の許可の条件にしたがつての適正な消毒業務をなさなかつた違反行為にあり、本件とは直接因果関係がないので、この点の主張もまた採用できないところである。

また原告らは、新潟市公害課より原告らの被害について連絡を受けても、消毒場所の移転、中止等の措置をとることもなく、慢然と放置していたと主張しているが、<証拠省略>からすると横浜植物防疫所新潟出張所が被告会社から原告らの抗議、中止要求の連絡を受けこれを覚知したのは、原告らが被害を受けた六月九日の翌日である一〇日であつて、その時被告会社に対し、本件現場での薬液噴霧の中止を求め、これに応じて、被告会社も作業を中止し、その後同月一三日に新潟市公害課からの本件事故連絡を受けたことが認められるので、右の主張も採用できない。

九  結論

以上のとおりであるので、原告らの本訴請求は、被告会社に対し原告美子において金三五二万円、原告政雄において金一七九万円とそれぞれ右金員に対する本件事故後であること明らかな昭和四五年七月一日からそれぞれ各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとレ、被告国に対する請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 山中紀行 大浜恵弘 児嶋雅昭)

(請求の原因)

第一本件不法行為の発生と内容

一 被告滝沢運送株式会社(以下被告会社という)は、港湾運送事業等を業とする株式会社であるが、昭和四五年六月七日新潟港西港山ノ下埠頭に到着した輸入木材七一五八本(輸入商社岩手県貿易振興協会・買受人金清木材株式会社)の消毒場所までの陸路輸送、ならびに右陸路運送に必要とされる消毒(以下輸送用消毒という)の業務を請負い、同年六月八日午後一時三〇分頃から午後六時頃まで、同月九日午前八時頃から午後六時三〇分頃までの間、新潟市神明町二番地先である通称浜町通山ノ下埠頭入口付近の原告宅から四五・九五mの地点で、新潟西港山の下埠頭に到着した輸入木材七、一五八本の消毒場所までの陸路輸送に必要とされる害虫分散防止のための薬液噴霧を行つた。

(一) 右使用された薬液(以下本件薬液という)は、パインサイドCであり、その成分は、通称γBHC(別名リンデン)を二・五%通称EDB(一、二ジブロムエタン)を二五%、有機溶剤(本件においては灯油)を七二・五%を含んでいるものである。

(二) 本件薬液の噴霧方法は、高さ四・五メートルの鳥居様の鉄パイプを組立て、輸入木材を積んだトラツクがその下を移動する際に、発動機で圧力をかけた薬液をその上部三箇所から噴射させるものである。本件薬液は約五分間隔でトラツクがでるたびに噴射され、その使用量は、六月八日が五八l、同月九日が一一七lである。

(三) 被告会社が、六月八日および同月九日に本件薬液を噴霧した場所は、山の下Y埠頭と平行に走る舗装道路と原告宅の裏側を走る一部未舗装の坂道がT字型に交差する付近で、右噴霧場所は、原告宅の敷地よりも高くなつている。しかも、本件消毒場所と原告宅との間は、雑草地で、本件薬液の飛散流入を遮断する障害物は全く存在しない。

(四)原告宅の窓は、建物の全面にあるが本件で開放した窓の位置は北側すなわち、本件噴霧場所に面した側である。

(五) 六月九日の原告宅付近における風向は北西すなわち、埠頭側から吹いており、その風速は部屋の壁に画ビヨウで止めてあつたカレンダーが落ちる程度のものであつた。

二 原告夫婦の行動

原告宅は一階が有限会社新潟スチール製作所の事務室および作業所、二階が住居となつているが、原告美子は六月九日朝から二階で窓を全部開放してじゆうたんを取替えたり、畳ふきをしたり、布団を干したり、衣類の整理などをしていた。ところが、午後二時頃特別へんなにおいに気づき、朝八時頃から開放していた窓を閉め、その頃干していた布団も入れた。そこで原告美子は、午後三時頃このへんなにおいは、朝から鳥居を組んで噴霧している本件薬液が原因であると思つて、早速夫の原告政雄から噴霧している作業員にもつと原告宅がら離れたところで噴霧するように頼んだ。原告政雄はまもなく本件噴霧地点へ至る坂道を風下から風上に向つて行き、被告会社の従業員に対し、作業場所を移動するように申入れたが、右申入にもかかわらず被告会社は右作業を継続した。原告政雄は、右現場へ至る途中で、本件薬液をあび、かつ吸いこんだ。なお原告政雄は、六月九日はほとんど一階の作業場において、従業員倉井俊三および野口セツ子とともに作業していたが、昼頃右掃除を手伝うためわずかの時間二階にいたものである。

三 新潟市公害課は、本件事件発生後の六月一三日、原告宅二階北側の台所の隣の畳の部屋の窓ガラスの桟付近から、木綿の白いハンカチでガラスに付着していたゴミをとり、昭和四九年四月一日、新潟市水道局水質管理課において、ガスクロマトグラフイで分析した結果、一回目〇・〇二七ppM、二回目〇・〇三三ppM、三回目〇・〇三三ppMのγBHCが検出された。

四 原告美子は、六月九日午後四時ころから、悪心、頭痛、吐き気を感じるとともに顔面紅潮し、夕食準備する元気もなく五時三〇分ころまで畳に横たわつていたが、異常を知つた夫の勧めにより六時ころ古沢外科医院に外来受診するに至つた。

古沢医師は鎮痛剤を投与するとともにベツトにて休息させたが、およそ三〇分経過しても症状の改善をみられなかつたこと、および顔面皮膚症状と患者から薬剤噴霧現認状況を聴取したことなどからこれが薬剤との関連を疑い、治療方法も不明ゆえ同日の処置は打切るが、古沢名を出したり町内会に連絡したりして消毒作業を中止させるよう忠告するとともに、自らは新潟市公害課あて電話連絡することを約した。実際、同人の報告により間もなく被告会社は原告美子を見舞つている。

原告美子は同夜、食思不振と七時ころから下痢症状も加わり夕食もとれないまま夫に布団を敷かせて病臥したが、激しい頭痛等のため一睡もとれることなく夜を明かした。

そして、同夜以来六月一九日ころまで牛乳や冷たい飲物以外摂取できない状態が継続することとなつたのである。他方原告政雄は、翌一〇日午後八時ころ晩酌を始めた数分後、同人の適量は酒三ないし五合くらいであるところわずか一合も飲まないうちに、腹痛、頭痛等の諸症状が急激に現われて畳をころげまわる状態に陥つた。同夜林医師の往診を受けたが、同医師の帰り際になつてようやくそのことに気付く程であつた。

右の如き原告夫婦の症状を診断した新潟大学神経内科および斎藤医師は原告夫婦の右症状はパインサイドC中毒(γBHCおよびEDBによる中毒)であると診断した。

すなわち、その根拠は、

(1) 原告夫婦がパインサイドCの暴露をうけたこと。

(2) 原告夫婦の症状が本件薬剤に含まれているBHCおよびEDBの中毒症例と似ていること。

(3) 原告美子について血中のBHCが若干高くEDBも高いこと。

五 近隣の住民である宮永リヨ、宮永卯弥子の住居は、本件薬液噴霧場所から約七五メートルの距離に位置し、原告宅同様二階建で、右噴霧場所に面した位置に窓(たて〇・九メートル、よこ一・八メートル)があり、噴霧場所と右建物との間に遮蔽物が全くないのであるが、宮永リヨは、六月九日は休暇で、朝から自宅の二階で窓を開放して寝ていたところ、昼頃異常なにおいに気づいたが、とくに窓をしめることはしなかつた。ところが夕方になると気分が悪くなり、吐き気、嘔吐、胸が苦しくなり、立つていられない状態になり、同女を診断した、広田医師は、宮永リヨの右症状について明確にパインサイドC中毒と診断した。

また宮永卯弥子は、六月八日(この日も午後から夕方まで薬液を噴霧した)二階で掃除をし、朝、屋根に布団を干したり、午後三時頃その布団を入れるとき、いつもよりほこりが沢山ついていたので、ほうきでたたいておとしたこと、そのとき少しおかしなにおいに気づいている。ところが同人も夕方になると、疲労、けん怠感をおぼえ、頭はフラフラして二階に上るにも手すりにつかまらなければ上れない状態になつてしまつた。

六 これらの事実を総合すると、被告会社が実施した薬液の噴霧によつて、噴射された薬液が風に運ばれて原告宅に流入したこと、原告夫婦は右薬液の暴露をうけたこと、さらに原告政雄は、噴霧場所へ行く途中の坂道でも右薬液の暴露をうけたことは明らかであり、この結果原告夫婦はパインサイドC中毒症にかかり、後記の如き精神的、肉体的、経済的に多大の損失をこうむつた。

第二被告会社の不法行為責任

一 本件消毒剤の毒性と使用上の注意義務について

(一) 被告会社が使用した消毒剤パインサイドCは、通称γBHC(別名リンデン-、一・二・三・四・五・六ヘキサクロルシクロヘキサン)を二・五%通称EDB(一・二ジプロムエタン)を二五・五%混入した液体溶剤である。そして、右、BHCは毒物及び劇物取締法第二条第二項別表第二の七六号で指定された劇物であり、右EDBは、同法の同じく三五号で指定された劇物であり、しかも右γBHCを一・五%以上含有する製剤は、同法の同じく九四号、毒物及び劇物指定令第二条九〇号により劇物とされているから、本件薬剤もまた、劇物とされているものである。

かような劇物は、人体に対する危険予防の見地から、毒物及び劇物取締法で広汎に規制され、登録を受けた者を除く製造・輸入・販売・貯蔵・運搬の禁止(同法第三条)一定の資格ある取扱責任者の存置義務(第七条、第八条)、劇物の飛散漏水等の予防義務(第一一号)劇物の表示義務(第一二条)事故の際の届出ならびに、応急措置の義務(第一六条の二)等々が定められ、取扱い上厳重に注意すべきものであることはいうまでもない。とくに右γBHCについては、最近人体に対し、肝臓から脳神経等までおかす有害物として、農薬・牛乳に関して問題とされ、使用禁止の方向に進みつつあることは、新聞紙上にも報道され、公知の事実となつている。

(二) 他方、輸入木材の消毒について、有害動植物の分散防止と、右消毒剤が劇物であることより、消毒にあたつての危害防止の両面から、植物防疫法その他で、消毒方法等の必要な規制を行つている。

たとえば、「昭和四三年四月二二日四三農政B第六九九号農政局長から、植物防疫所長宛通達「植物検疫くん蒸における危害防止対策要綱」第五、木材天幕くん蒸に関する危害防止対策によれば「くん蒸場所は、民家、学校、病院、公共道路から一五米以上離れており、かつ第三者の立入りを阻止する柵鉄条網などで囲われていること」、「くん蒸実施において、十分な経験と技術又は、資格を有する実施者、作業主任者、監視者等の配置」「くん蒸の実施方法、ガスの特性、中毒症状、緊急事態発生の際の措置等の危害防止上必要な事項の事前説明」「防毒マスクの使用ガス開放時の周知説明、風向、人家の有無および作業状況等を考慮するなどの安全確認」等々が定められている。

本件消毒は、木材の選別又は消毒場所への輸送にあたつての事前消毒であるが、その消毒はいわゆる劇物であるγBHC、EDBを含む混合油剤を木材推積表面一平方米当り三〇〇CC以上散布することを要求されるものであり、このような危険な薬剤を大量に散布する消毒作業においては、作業において第三者に危害をもたらさないように充分に注意する義務があるといわねばならなさないような場所と条件(風向など)を選択し、散布方法に安全な方法をとり、第三者に周知、説明をなし、あるいは、苦情の申出、事故等が発生したら直ちにその原因をきわめて、善処するなどの義務あるに拘らず次の通りこれを怠つた。

即ち、前記のように第一に、同被告は、原告宅をはじめ人家が密集した地点の約五〇米北西の場所で、しかも丁度晴天北西の風が吹いている時に消毒作業を行つた。

第二に、右風向等を考え、風下に天幕を張るなどの薬液飛散防止措置もほどこさず、監視人もおかず、ただ一人の作業員が道路の両端に鉄製パイプを立てて鳥居様に組み立て、上部の道路を横切るパイプの穴より動力噴霧で薬液を発射し下を通る輸送トラツク上の材木にかけようとするやり方をとつたため、実際には、噴霧液が大部分風に流されるという状況であつた。第三に右消毒散布について、近くの人家の人達に、何の事前通知もなさず、前述のように、原告政雄より再三にわたつて消毒場所の移転、消毒の中止方の申し出がなされたにも拘らず、これを無視して、右消毒作業を続行した。

ここに至つては、被告会社は、単に過失による注意義務の欠如というにとどまらず、原告等が薬物中毒症の被害をうけてもかまわないという、いわば未必の故意による不法行為責任を追求されても、これを否定しえないものといわねばならない。

第三被告、国の不法行為責任

一 輸入木材消毒における被告国の一般的義務

被告国は、木材の輪入に関し、有害動植物の分散防止のための「完全消毒」と同消毒が前述のように、劇物薬剤を扱うところから、国民に被害の及ばないような「安全なる消毒」がなされるよう消毒業者に対する監督、輸入規制、消毒場所の設置、等の義務があるというべきである。

(1) まず第一に消毒業者に対する広汎な監督権限の面からいえば、この監督、規制指導等を行う国の直接の機関は農林省管下の植物防疫所である。

同防疫所は、木材の輸入があると、輸入者に輸入検査申請書を提出させ、有害動植物の附着の有無を検査して合格したものについては合格証明をして輸入を認め、不合格品については、この消毒又は廃棄を命ずるのであるが(植物防疫法第六条、第八条、第九条同法施行規則第十条等)、右不合格品であつても、同防疫所は、輸入者に「消毒又は、廃棄計画書」を提出させてその適否を認定し、あるいは、条件付で有害動植物の附着しない木材を選別して一部消毒を免除することもできる。しかしこの場合右消毒を行う場所は、原則として「一定の港の港域内又は港頭地域内の植物防疫官の指定する場所」であり、右選別を行う場所は原則として「一定の港域内の植物防疫官が指定する水面」とされている。しかし例外として、有害動植物の分散防止と完全な消毒が確認できるならば、他の場所で右選別、又は消毒をなすことを許可することができる。

そして、この例外としての選別又は消毒場所までの木材の輸送は、原則として水路輸送とされる。ただし有害動植物の分散防止及び完全な消毒が確認できるときは、さらに例外として陸路輸送を許可することができる。

ただし、この場合陸路輸送の前に、特定の消毒作業を行わなければならない。被告会社がなした本件消毒は、取扱い規定上はあくまでも、右例外中の例外である陸路輸送のための消毒なのである。

(以上につき、農政局長より植物防疫所長あて通達「輸入木材検疫要綱」参照)

他方「安全なる消毒」の点については、劇物を扱う業者を右のように規制する国の機関として、消毒の安全性についても意をつくした監督がなされるべきは当然であるが、具体的には、右のように「消毒又は廃棄計画書」を提出させて、その適否の確認をなしたり、前述のように「植物検疫くん蒸における危害防止対策要綱」により安全性につき監督すべきものとされている。

(2) 次に国には、次のように輸入木材につき「完全かつ安全なる消毒」のため業者に対し広汎な監督の権限と義務があるとともに、自らも右の「完全かつ安全なる消毒」が行われるための物理的な場所や施設をもうける義務があるというべきである。

二 被告国の具体的不法行為について

以上述べたような被告国の義務があるところ、本件において被告国は次のとおり故意又は過失によりその義務を怠り、又は、漫然と被告会社の消毒を許可しこれがため原告両名に前記のごとく損害を惹起せしめたのであるから被告会社とともに連帯してこれが賠償をせねばならない。

1 被告国は、前述のように広汎な監督の権限と義務を遂行せず、単に「消毒場所使用にあたつては、危害防止、害虫分散防止に万全を期する。散布にあたつては周囲に薬剤が飛散しないよう危害防止に万全を期します」旨の被告会社よりの「陸上貯木陸路輸送許可願」に対して同年六月八日漫然と例外措置たる許可をなし、前述のような場所、条件、消毒方法による被告会社の消毒を認可し、右消毒は公益的観点からなされるのであるから、被告国は、消毒の実施方法等について消毒業者とともにその安全をはかる義務あるに拘らず消毒の実施状況も確認せず前述のように新潟市公害課より、原告等の被害について連絡をうけても、消毒場所の移転、中止等の措置をとることもなく、漫然と放置していたものであるから民法七〇九条の責任がある。

2 木材の選別又は本消毒場所への輸送は、前記のとおり植物防疫法、同法施行規則等に明らかなごとく原則として水路輸送とされている。しかるに、横浜植物防疫所新潟出張所長だつた上野輝雄は、本事件当時湾港運送事業法第四条所定の免許を得ておらず、従つて右水路輸送をすることのできない被告会社に対し薬剤消毒の実施業者として認め、実際に本件消毒の実施を認可した。

しかも住民にとつて安全な消毒がやられるよう監督する権限と義務を有しているに拘らず、漫然と例外措置たる陸路輸送方式を許可し、また前記のごとき場所、条件、消毒方法による危険かつ有害な消毒を認可し、かつその実施状況を監督しなかつた。

そしてまた、原告等が被害をこうむつたことの連絡をうけても消毒場所の移転・中止等の措置もとらず放置していた。

公権力の行使にあたる国家公務員たる右上野所長がその職務を行うについて、右のとおりそのなすべき注意義務を怠り、もつて原告等に損害を与えたことは、過失責任を免れず、国家賠償法第一条第一項によつても被告国がこれを賠償せねばならない。 3 新潟港における輸入木材は、昭和三五年当時年間二〇万トン足らずのものだつたものが、その後増加を続け、とくに昭和四〇年以降急増し、昭和四三年は約一四〇万トンと昭和三五年当時の七倍に増加し、その後もさらに激増を続けている。

かかる場合、国は完全なる消毒とともに、国民に対する危険防止上、安全なる消毒にも十分配慮をなし、いたずらに、国民の身体、安全を軽視して、大会社のためにのみ無差別に輸入を認可すべきことのないようにすべきは勿論であつてそのためには、輸入業者の一定の費用の負担のもとに「完全かつ安全なる消毒場所」を設けるなどの措置を講ずべきである。

しかるに、新潟港における実情は、右のように輸入木材の異常な増加にも拘らず、これを「完全かつ安全に消毒すべき場所」も設置されないまま放置され、前述のように本来、例外中の例外としての輸送用消毒が一般化し、しかも本件のごとく人家に近いところで消毒が強行され、あるいは逆に、右法律的に必要とされる消毒が全くなされないまま、木材の輸送がなされ、防疫所もこれを黙認するような異常事態が発生している。

このように適切なる消毒場所がもうけられなかつたことは、まさに、被告国の重大な義務違反であり、本件被害もこれを一因として発生したものであつて、被告国は国家賠償法第二条により、その損害を賠償する責任があるといわざるを得ない。

第四損害

一 被告会社および国の責任の重大性

いわゆる公害は、企業の一方的過失によつて引き起され被害住民の側でこれを回避することはほとんど不可能である。新潟および態本水俣病、イタイイタイ病、四日市公害訴訟、大阪空港訴訟いずれも然りである。公害の根源的理由は、利潤に直接つながらない出費はかりに人間環境を破壊する場合でも可能な限り押えようとする企業の体質にあることは、すでに識者が指摘するところである。被告会社は、その企業規模において、前記公害訴訟にあらわれた大企業には比ぶべくもないが、その企業的体質は全く同質である。被告会社は、害虫分散防止のための薬剤散布の条件として周囲に飛散しないように万全の注意をする旨誓約している。しかるに被告会社は風向・風速および地形、人家の存在などに全く配慮しないで、かつ何ら飛散防止の措置をとらず、たれ流し的に多量の薬剤を噴射した。これに気づいた原告らが散布場所の移動とそこで散布することの中止を求めたにもかかわらず被告会社はこれを無視し、薬剤の散布を強行した。これら被害会社の態度は、右許可条件など一顧だにせず根本的には利潤追及の前に地域住民の健康と生活を無視するという体質を露骨に示したものと断ぜざるをえない。かかる被告会社のずさんなかつ地域環境と住民を無視した危険な薬剤散布を許可し、放置してきた被告国の責任は重大であり免がれることのできないものである。企業と行政との癒着は、これまでの公害訴訟において次々と明らかにされつつあるが、たとえば富山のイタイイタイ病訴訟では「米が売れなくなる」「嫁のきてがなくなる」と言つて被害者に圧力をかけたのは自治体の最高責任者(県知事)であつたし、熊本につづいて第二の水俣病を新潟で発生させた主たる原因は企業にあるとしても、国にその責任の一半があることは明白である。また、四日市公害訴訟ではコンビナートの立地について間接的ではあるが明確に国・自治体に責任があることを指摘している。本件訴訟においても被告国は積極的に問題を解明しようとする姿勢を捨て、一旦実験することが決定していたにもかかわらず全く理由にならない理由をつけて飛散実験を一方的に中止して、中毒の原因が被告会社の薬剤散布にあることに蓋をして被告会社を擁護し、町題解明を著しく困難にしてしまつた。しかるに、被告国は、自らの行政責任を棚に上げて、新潟市公害課係長石井淳の木綿のハンカチから析出されたγBHCに対し採取方法や保管方法ならび分析方法に科学的に疑問があるなどと主張している。しかし、これほど無責任な言い逃れはない。住民の健康と生活につき第一に責任を負わなければならならないのは行政である。被告国は、そのための設備、技術および資力を有しているのであるから、住民の健康と生活に責任を負う立場として率先して実験をするべきであつたし、実験をする機会はあつた。それをしないでおいて、資力と設備をもたない原告らの不手際を非難することは許されるはずがなく、それによつて被告国の責任が消滅するものではない。このような被告国の無責任な態度が企業の横暴を助長し、原告ら地域庄民の健康と環境を破壊しむしばんできたのである。本件原告両名および同時に被害をうけたと思われる宮永リヨはじめ数名の者が今日まで救済されずに放置されてきた責任は、あげて植物防疫所に代表される被告国にあることを明確に指摘しなければならない。原告ら夫婦は、無責任な被告会社と国の犠牲者である。

二 精神的肉体的損害

1 本件中毒事故は、突然原告ら夫婦およびその家庭を襲い、原告夫婦およびその家庭を長期間にわたり精神的肉体的、経済的に苦しめ困難に陥し入れてきたものであり、被告会社および国の加害責任は重大であり被告らはその責任をとらなければならない。すでにみたとおり、原告美子は、六月九日の晴れた日に、二階窓を開放して衣類の整理、じゆうたんの取替布団干しなど家庭の主婦としての仕事にいそしんでいたものである。当日は朝から埠頭の方で何かしていると思いながらも、有毒な物質を含む薬剤を散布しているとはつゆ知らず、ましてそれが風にはこばれて、気持よく吸い込む空気の中に含まれているとは全く予想もできぬまま掃除などに追われているのである。

しかるに、原告美子は、午後二時頃から風に運ばれた本件薬剤の暴露をうけ吸引することによつて中毒にかかり前記のとおりしめつけられるような頭痛、めまい、吐き気、嘔吐、下痢、冷たい牛乳位しか飲めないという極度の食欲不振、物が二重三重に見えるなどの複視等の症状を呈し、一週間位点滴をうけ三日間位も輸血をうける状態だつた。まもなく口がしびれて思うように話せなくなり、またしばしば意識消失する状態であつた。七月一日から一週間大学病院に入院し、その後も斎藤医師などの治療をうけ昭和四八年頃まで、沼垂診療所で月四~五回多いときは一〇回位の通院治療をうけてきた。昭和四八年においても、けん怠感、疲労しやすい頭痛、意識消失、右半身と手足の知覚低下、しびれなどが残り、昭和四九年においても月二、三回床につく状態で、右神経症状はいつ治癒するかも予測困難な状態である。かかる症状であるから、昭和四七年までほとんど仕事をせず、昭和四八年になつてからようやく三日ないし四日に半日程度は帳簿の整理をすることができるようになつたが、そうして仕事をしたときは半日横になつて休むという状態であつた。しかし、今日に至るも未だに配達・集金など外回り仕事は身体が不安定なものはしていない。すでに中毒にかかつてから五年半を経過しているが、今日に至るも被告らの不法な行為によつて苦しめられているのである。これによつて原告美子のこうむつた精神的、肉体的損害は甚大である。

2 また、原告政雄は、前記のとおり六月一〇日、午後八時頃晩酌をはじめた途端、胃のあたりがもぎれるばかりの激痛におそわれ、吐き気、嘔吐、食欲不振、知覚低下、意識減退などの諸症状を呈し、ほとんど二か月間というもの仕事にならなかつた。

しかるに被告会社は、その不法行為を認めようとせず、まつたく責任を転嫁して、事実を歪曲してシンナー中毒などと主張し、恥するところがない。被告会社の地元における影響力は相当大きく、古沢医師でさえ原告美子を入院させると問題が大きくなるからと被告会社に気兼しそれでもはじめは被告会社の薬剤散布に原因があることを認め、新潟市公害課に対してさえ、原告美子の皮膚炎は油性の外部刺激によるものであることを認めていたのであるが、被告会社の地元に対する影響力を心配して後にこれを大きく後退させ、まつたく本件薬剤散布と因果関係がないかの如き言動をするようになる始末であつた。「医師法第一条」は医師の職分について、医師は医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上および増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする、と規定しているが、このように人間の健康について重大な責任を担う医師でさえかくありさまである。まして何の社会的地位身分ないものの言い分が地域において受け入れられるにはどれほどの苦しみを味わいながら、努力しなければならないかを古沢医師の例は端的に物語つている。

新潟水俣病訴訟においても、外見上通常人と何ら変化の認められない水俣病患者が、「プラプラ病」だとか「銭とり病」だなどという加害企業や一部の地域住民の非難に、どんなに苦しいせつない思いを耐えて判決にこぎつけたかはいまや多くの者が知つている。かかる非難をおそれてなかには、自分が水俣病患者であることを明らかにしなかつた者もあり、その人たちは、第一審判決で被害者患者が勝訴したことによつて、ようやくにして水俣病患者であることを名乗ることができたのである。かかる意味においても、長期間原告夫婦を苦しめ、しかも裁判を余儀なくさせた被告らの責任は重大である。

よつて右損害の慰藉料として原告美子は四〇〇万円、原告政雄は一五〇万円の賠償を求める。

三 経済的損害

1 原告政雄は昭和三九年頃からスチ-ル家具製造業に従事していたが、昭和四一年に、有限会社新潟スチール製作所をおこし、その代表取締役に、原告美子は取締役にそれぞれ就任し、原告政雄は学校用の机、椅子会議用テーブル、スチール書庫、ロツ力-などの製造販売を担当し、原告美子は、材料の仕人見積、帳簿整理や車を運転して配達や集金などの業務を担当し、外に従業員倉井俊三、野口節子を雇傭していた。すなわち、有限会社新潟スチール製作所(以下単に会社という)の営業実態は、原告ら夫婦が仕入、見積から製造販売を一手にひきうけて営業しているものであり、資本と経営の分離はなく、「原告ら夫婦が労働しなければ営業していくことができない」会社であり、いわゆる個人企業の典型的な場合に該当するものである。

2 会社の売上高等の推移

事業年度

売上高

損金

1

昭和四一年度

金 七、二一〇、九二三円

△金一、二七一、五六〇円

2

昭和四二年度

金 七、六四四、四四五円

金 四七〇、九〇五円

3

昭和四三年度

金 七、七一九、四七二円

金 一八五、三六九円

4

昭和四四年度

金 六、一二四、三八〇円

△金 七七一、六四〇円

5

昭和四五年度

金 五、九二三、八六四円

△金 六一五、六一七円

6

昭和四六年度

金 六、九一四、九六〇円

△金 七八一、四三七円

7

昭和四七年度

金一〇、六八三、六七一円

金 九八七、一三九円

8

昭和四八年度

金一四、六三〇、六九九円

金 九〇五、五四八円

会社の売上高および損益の推移は右のとおりであるが初年度(昭和四一年度)は、売上高が昭和四二および昭和四三年度と比較してそれほど低くないにもかかわらず、一二七万円余の損失となつており、他方昭和四二および昭和四三年度はわずかであるが利益となつている。したがつて初年度の損失は売上が伸びなかつたために生じたというよりも、営業開始のために要した設備等の先行投資が大きかつたために生じたものであり、その意味で軌道に乗らない時期の損失であつたといえるものである。昭和四四年度は売上高が前年度に比較して約一五九万円(約二〇%)減少していたが、これは、工場の増改築のために約四か月間仕事が十分にできなかつたために生じたものである。昭和四五年度は売上高が一番下つた年であるが、これはパイサイドC中毒にかかり、仕事を休みかつ能率が低下したために生じたものである。休業期間中および十分に仕事をすることができない期間、外注したりした関係で、顧客が離れていき、昭和四六年度においても、この影響は大きくひびく、あわせて健康が完全に回復していなかつたために、昭和四三年度の売上にも達しない状態だつた。昭和四七年度になると、ようやく健康と得意先を回復して、売上高を、一、〇〇〇万円台に伸し、利益をあげている。もし原告政雄が中毒にさえならなければ、昭和四五、四六年度において、八〇〇ないし一、〇〇〇万円台の売上をあげていたことは確実であり、昭和四七年度の売上げもさらに大きく上昇していたに違いない。

そこで、売上げが安定していた昭和四三年を一〇〇とすれば、昭和四八年の売上は一八九、五となり、その上昇率は八九、五%、昭和四三年から昭和四八年まで年平均上昇率は一七、九%である。昭和四三年から昭和四八年にかけて、日本の景気は上昇傾向にあり、右会社の売上げも原告夫婦がパインサイドC中毒にきえならなければ順調に上昇したものと認められる。

そうだとすれば、改築のため休業したり、本件中毒で休業などしなければその売上げの推移は大方次のとおりとなつたであろう。

年度

実際の売上高

予想売上高

係数

昭和四三年度

金 七、七一九、四七二円

一〇〇

昭和四四年度

金 六、一二四、三八〇円

金 九、一〇一、二五七円

一一七、九

昭和四五年度

金 五、九二三、八六四円

金一〇、七二二、三四六円

一三五、八

昭和四六年度

金 六、九一四、九六〇円

金一一、八六四、八二八円

一五三、七

昭和四七年度

金一〇、六八三、六七一円

金一三、二四六、六一三円

一七一、六

昭和四八年度

金一四、六三〇、六九九円

一八九、五

以上の推計からも明らかなように、原告夫婦がパインサイドC中毒にさえかからなければ、昭和四五年度において、一、〇〇〇万円の売上げも十分可能であつたことが推測されるのである。

3 すでに指摘したとおり、右会社は「原告夫婦が労働しなければ営業していけない」会社であり、「原告夫婦が働くことによつてその成績を向上させることができる」という関係にあるから、会社の損失は原告夫婦の損失であり、原告夫婦の損失はまた会社の損失につながるという関係にある。すなわち前記のとおり、会社の売上高の推移は、原告政雄がパインサイドC中毒に罹患し、労働できなかつたこと、または右中毒症のために長期間肉体的精神的に疲労し労働能力が低下したことを裏づけるものであり、また原告政雄が労働できないために仕事がなくなり、右会社の先行きを心配した従業員倉井俊三はまもなく右会社を退社した事実は、右会社の営業状況を反面から物語つている。

以上のとおり、会社の売上高の推移および原告夫婦の症状から判断すると、原告政雄が約二か月間全く仕事ができなかつたこと、その後一年間は約三割に相当する収入の減少があつたことは確実である。

従つて原告両名の一ケ月の収入は少なくとも、金二〇万円をくだらないところ、原告各人の収入を、それぞれ原告両名の合計額の各二分の一として計算すると、各原告の損失額は、次の通りである。

{(20万円×2ヶ月)+(20万円×3/10×12ヶ月)}×1/2 = 56万円

四 弁護士費用

原告両名は、昭和五〇年三月七日弁護士中村洋二郎に対し本件訴訟第一審終結の際、手数料および報酬として請求金額(前記二、三の合計額で原告美子は四五六万円、原告政雄は二〇六万円)の約一割五分に相当する原告木村美子について金六九万円、原告木村政雄について金三一万円の各金員の支払を約した。

よつて、原告木村美子は被告らに対し前記二ないし四の合計金五二五万円原告木村政雄は被告らに対し前記二ないし四の合計金二三七万円とそれぞれ右金員に対する不法行為の発生後である昭和四五年七月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告会社の認否)

請求原因第一項一の冒頭の事実は、認める(但し消毒場所は原告宅から五五メートルの地点である)、第一項一の(一)の事実中、被告会社が使用した消毒剤がパイサイドCであることは認めるが、毒物及び劇物取締法にいう劇物には該当しないものである。被告会社が使用した消毒剤は、横浜植物防疫所より輸入木材検疫要綱第一六の一および二に基いて指定されているγBHC、〇・二五パーセント及びEDB二・五パーセントを含む混合油剤でこれが劇物となれるのは、前者が一・五パーセント、後者が五〇パーセント以上含有する場合である)。(二)の事実中、原告主張の如き方法で消毒したことは認める。(但し消毒台の高さは三・五メートルであり薬液の使用量は一台当り0.7ないし0.8リツトルで、総計二三〇台分である。)(三)の事実は認める。(四)の事実中、本件噴霧場所に面した北側に窓のあることは認める。(五)の事実は否認する。同項の二ないし五の事実は不知、同項の六の事実は争う。

請求原因第二項一の(一)中γBHCが「毒物及び劇物取締法」で指定された劇物であること及び右取締法に原告ら引用の条文の規定のあることは認めるがその余は不知。同項一の(二)中原告ら主張の通達に原告ら主張のような定めがあること、および本件消毒が木材の選別、又は消毒場所への輸送にあたつての事前消毒であるとの点は認めるが、その余は否認する。同項二の事実中、被告会社に責任があるとの点は否認、その余は争う。

請求原因第四項一の被告会社に責任があるとの点は否認。その余は争う。同項二、三の事実は争う。

(請求原因に対する被告国の認否)

一 請求原因第一項一の冒頭の事実は認める。(但し消毒場所は原告宅から五五メートルの地点である。)同項一の(一)の事実中被告会社が使用した消毒剤がパインサイドCであることは認めるが、使用剤は毒物及び劇物取締法にいう劇物ではない。(二)の事実は不知。(三)の事実は認める。(四)の事実中本件消毒場所に面した北側に窓のあることは認める。(五)の事実は否認する。同項の二ないし五の事実は不知、同項六の事実は争う。

二 請求原因第二項の一の(一)中γBHCが「毒物および劇物取締法第二条第二項別表第二の七六号で指定された劇物である」ことおよび「毒物および劇物取締法に原告ら引用の条文の規定がある」ことは認めるが、その余は不知。同項一の(二)中、原告ら主張の通達に原告ら主張のような定めがあることおよび本件消毒は木材の選別、又は消毒場所への輸送にあたつての事前消毒である、との点は認めるが、その余は否認する。同項二の事実は不知。

三 請求原因第三項一の冒頭の部分は否認、同項一の(1)中、「同防疫所は、木材の輸入があると……又は消毒をなすことを許可することができる。」こと「選別又は消毒場所までの木材の輸送は、水路輸送とされる。ただし有害動植物の分散防止および完全な消毒が確認できるときは陸路輸送を許可することができる」こと、「被告会社がなした本件消毒は、陸路輸送のための消毒である」ことおよび「消毒又は廃棄計画書」を提出させることは認めるが、その余は否認する。同項一の(2)は否認する。同項二の冒頭の部分は争う。同項二の第一中「陸上貯木陸路輸送許可願に対して六月八日被告会社による害虫分散防止のための薬剤散布の実施を許可したことは認めるが、その余は否認する。同項二の第二中「新潟港における輸入木材は……激増を続けている」ことは認めるが、「このような適切なる消毒場所が……その損害を賠償する責があるといわねばならない」との点を争い、その余は否認する。

四 請求原因第四項一の被告国に責任があるとの点は否認、その余は争う。同項二、三の事実は争う。

(被告国の主張)

一 本件の経過について

輸入者岩手県貿易振興協会はソ連邦より木材を輸入し、昭和四五年六月六日ソ連材二、七六三・一五立方メートルを積載したソ連船(ブジヤトゴルスキ号)が新潟港に入港し、同日午後二時山ノ下埠頭に接岸した。

同月八日、右ソ連材について、右貿易振興協会の委任を受けた新潟植物検疫協会から横浜植物防疫所新潟出張所植物防疫官あてに植物輸入検査申請(植物防疫法八条一項同法施行規則一〇条)および木材天幕くん蒸承認申請(輸入木材検疫要綱第二の二)がなされたが、右木材の運搬については、当時水面貯木場は満杯で新たに貯木できる状態でなかつたので、右木材の運搬については水面使用ができないため、全量陸取り輸送に切換えた。そしてその際、同協会から

1 輸送期間を六月八日から一〇日とする。

2 管理責任者を被告会社としてEDB二・五%およびBHCγ〇・二五%を含む混合油剤を木材堆積表面一平方メートル当り三〇〇立方センチメートル散布する。

3 この散布にあたつては、周囲に薬剤が飛散しないよう危害防止に万全を期す。

という条件で陸上貯木陸路輸送許可願が提出された。

これに対して、同日新潟出張所長は、右許可の条件としての害虫分散防止のための薬剤散布方法が輸入木材検疫要綱別表二の(5)に合致し、また管理者である被告会社は、すでに昭和四五年三月から四月にかけて本剤散布について十分なる指導を受け、その害虫分散防止の薬剤散布についての実績を有していたので、被告会社に対し特別の提案の必要がなく同要綱第一六第一項に基づき山ノ下埠頭でこれをなすことを承認した。

そこで、被告会社は本船荷役およびトラツク運搬の作業、これに伴う害虫の分散防止のための薬剤散布の作業を同日一三時三〇分ごろから開始した。なお、本件ならびにその他関連の薬剤散布の状況は次のとおりで、場所関係は別紙第一図面<省略>のとおりである。

本船名

散布日時

散布地点

(別紙図面参照)

散布器具

1

ブジヤトゴルスキ号

六月八日一三時三〇分~一八時

動力噴霧器

2

同右

六月九日八時~一八時三〇分

同右

同右

3

シヤツラ号

六月一五日一三時~一五時

背負式手動噴霧器

4

同右

同日一五時~一八時

同右

5

同右

六月一六日~一九日八時~一八時

同右

同右

6

同右

六月二〇日八時~一二時三〇分

同右

同右

7

コルゲフ号

六月二二日一〇時三〇分~一一時

同右

8

同右

同日一一時一〇分~一七時

同右

なお、本件木材の消毒は右のうち、1および2のみである。

二 被告国には右害虫分散防止のための薬剤散布についての不法行為責任がない。

右の経験において明らかなとおり、輸入者より消毒場所までの陸上貯木陸路輸送許可申請に対して、植物防疫官が輸送中における害虫の分散防止が可能とみられる場合に、これを許可し、(輸入木材検疫要綱一六の一および二)、その際、害虫分散防止のための薬剤散布(EDB二・五%およびγBHC〇・二五%を含む混合油剤をトラツク積載木材推積表面一平方メートル当り三〇〇CC以上散布)を命じ、かつその散布に当つては、危害防止、害虫分散防止に万全を期する旨の申請に対し承認を与えたものである。したがつて、本件のように輪入者に課した害虫分散防止の消毒については、被告国は害虫の分散防止に足る消毒をさせただけなのである。したがつて、それ以上に害虫分散防止の消毒のための施設を設置すべき義務を有しないことはいうまでもない。

また右のような消毒は輸入者が行なうものであつて、被告国は、右薬剤の散布を行なつていないし、またその義務を有しない以上、かりに薬剤散布の実施によつて事故が発生したとしても、それは輸入者または管理者の責任であつて、国には右の損害について不法行為責任を有しないことは明らかである。

なお、害虫を殺虫する木材の消毒(くん蒸消毒)については、港域内もしくは港頭地域内の植物防疫官が指定する場所又は輸入木材の所有者等が植物防疫官の承認をうけて定める場所で行なわれる(要綱第一五)。これは、右のくん蒸消毒に使用する薬剤が劇薬なので、天幕を使用し、かつ植物防疫官が指定する場所でくん蒸消毒するよう定められているのであるが害虫の分散防止のための薬剤散布は場所の指定がなく、通常埠頭などの臨港区域である(原告はこのくん蒸消毒と本件のような害虫分散防止の消毒とを混同し、右くん蒸消毒についての規定を害虫分散防止の消毒にも適用あるものと誤解している。)。

三 本件の散布薬剤は劇物に当らない。

本件害虫分散防止のために使用された薬剤原液はEDB二五%BHCγ二・五%を含む混合油剤(BHCγ一・五%以上含有するものが劇物である)であるが、同年五月一五日被告会社の職員柏原正憲の立会のもとで渡辺末次郎作業班長外二名でこれを一〇倍に稀釈したものを散布しているので、これは毒物および劇物取締法による劇物には該当しないものである。

したがつて、使用された薬剤からして特別な注意を払わなくとも、人に危害を及ぼすものではない。けだし、本件のような薬剤散布は日常つねに家庭において行なわれているものである。すなわち、家庭において使用される薬剤にはBHCγ一%程度を含有するものであり、市保健所等により蚊または蠅の発生防止のため下水溝等に散布される薬剤は、BHCγ〇・五%程度の油剤または乳剤を使用しており、しかもこれまで何んらの危害も発生していないのであるから、本件に使用された薬剤は右の家庭で使用する薬剤に比較してみても、BHCの含有量はその四分の一にすぎず、したがつて、原告が主張するような損害が発生するなどということは到底考えられないところである。

四 本件において事故の発生する余地はない。

(一) ところで、被告会社が原告宅から約五五メートル離れた地点で薬剤散布を実施したのは、六月八日一三時三〇分から一八時までの間および同月九日八時から一八時三〇分までの間のみであり、翌一〇日以降の薬剤散布はこれを中止することとし、その後、次船の六月一五日入港のシヤトウラ号積載の木材について、原告宅から一一五メートルおよび一三五メートル離れた地点での製材の蔭で、しかも手動式の噴霧器を用いて六月一五日乃至二〇日の間薬剤散布を実施したものである。

右のように、六月八日および九日に被告会社が散布したのは、その散布地点より原告宅まで約五五メートルも離れており、また別紙第二<省略>のとおりの六月九日の風向からしても、右の薬剤が原告宅まで、届くとは考えられない。ましてや前述のとおり家庭や下水溝等に散布する薬液よりもさらに低濃度な本件薬剤の散布により当該薬液が飛散して原告宅の室内に入り、その結果原告ら主張のような症状を呈することは全くあり得ないところである。

(二) 仮りに、原告らの六月九日以降の症状が、

原告美子において、

(1) 皮膚症状-顔、手の露出部に発症

(2) 視力障害-結膜炎、複視、偽性視神経乳頭炎

(3) 胃腸障害-吐き気、嘔吐、下痢、食欲不振

(4) 神経症状-強い頭痛、めまい、手足の脱力、口唇部のしびれ、意識消失、興奮状態、腱反射の低下、手足の知覚異常

原告政雄において

(1) 胃腸症状-飲酒後発症、吐き気、嘔吐、下痢、食欲不振

(2) 神経症状-頭痛、両手指脱力感、意識レベルの低下

(3) 視力障害-輻輳調節障害、偽性視神経乳頭炎

を呈し、右症状がBHCおよびEDB中毒と類似する点があるとしても、原告らの主治医である古沢東松医師の治療診断に基づく六月九日以前の後記原告らの既往歴、既往症による自、他覚症状と前記症状と比較してみても特異なものはない。

すなわち、古沢東松医師の診療したところによると、

原告美子について

(イ) 昭和四一年七月二九日初診時より同年一〇月末までの病歴として、食思不振、頭痛、めまい、心悸亢進等の症状で、低血圧症、貧血と診断され、対称療法を受けていたが、同症状は改善をみないうち、九月八日には低血圧症の原因の一つとして胃下垂が確認され、この間一〇月一七日には脳貧血を起している。

(ロ) 昭和四一年一一月より昭和四二年一二月中旬までの病歴として、低血圧及び原因不明の発熱並びにそれらに伴うところの食思不振、全身倦怠、腰痛、関節痛、筋肉痛、頭痛、めまい等を訴えて通院入院し、血液検査の結果、化濃巣が発見されている。そして、この間六回にわたり脳貧血を、昭和四二年一〇月二日には視力障害を、同年一〇月三一日には右半身の知覚鈍麻を訴え、同年七月三一日には背部両上肢に急性皮膚炎が認められている。

(ハ) 昭和四二年一二月二日から同月末までの病歴として、頭痛、めまい、悪心、視力障害等の症状が悪化し、入院の結果、腺喬性扁桃炎が確認され、慢性悪急性扁桃炎と判断され、原告美子の訴える自、他覚症状は胃下垂による低血圧と慢性悪急性扁桃炎によるものと診断されている。

(ニ) 昭和四三年一月より昭和四四年一二月までの病歴として、低血圧、全身倦怠、頭痛、めまい、悪心、食思不振等の症状が継続し、この間四回にわたり脳貧血をおこし、昭和四三年六月一八日には頸部、背部の急性湿疹、同年一〇月一二日には顔面急性皮膚炎等に罹患している。

(ホ) 昭和四五年一月より六月八日までの病歴として、胃腸障害、全身倦怠、腹痛、頭痛、めまい等を訴え、頻繁に通院し加療を受けている。

なお、右(イ)ないし(ホ)の期間を通じ、低血圧症が強い時にはしびれ感、脱力感も存している。

(ヘ) 昭和四五年六月九日午後以降においては、頭痛、悪心、全身倦怠、食思不振、顔面熱感等を訴え、六月一〇日には、顔面、頸部の皮膚炎が確認され、六月一一日には口囲のしびれ、六月一二日には重複視、六月一五日にはめまい、六月一六、一八日には貧血の各訴えが加わり、六月二一日には両前腕に急性皮膚炎の粃粒が確認され、六月二三日には頭痛、視力障害、めまい、膝関節痛を訴え膝蓋腱反射が低下していることが確認されている。

原告政雄について

(イ) 昭和四二年一月六日初診時より昭和四四年一二月までの病歴として、食思不振、上腹部の自発痛、右側腹部自発痛等を訴え、慢性胃腸炎と診断され、対称療法を受けていたが、この間昭和四四年八月一二日には視力障害、眼痛を訴え、同年八月二五日には検査の結果、脳脊髄低圧症候群(頭痛、全身倦怠感、関節痛、筋肉痛の症状を呈す。)と診断されている。

(ロ) 昭和四五年一月より六月九日までの病歴としては、胃腸障害、関節痛、腰痛等に対する治療を受けている。

(ハ) 昭和四五年六月一〇日以降は、食思不振、全身倦怠、下痢、頭痛、悪心、嘔吐等を主として訴え、六月二五日には視力障害(アレルギー性結膜炎)を七月一日には頭痛、頸痛、食思不振を訴え、七月六日には頭痛、頭重感、全身倦怠、四肢脱力感を訴え、腱反射が減弱し、血圧が九八-六〇であること等が確認されているが、これらの自訴症状は主として自覚症状のみで、他覚的症状としては特記すべきものがないとされている。

以上のとおり原告美子の六月九日以降の自、他覚症状については既往歴との間に差異を認めるべきものがほとんどなく、また、原告政雄については、六月一〇日夜に胸部苦悶、嘔吐、頭痛、血圧低下(九〇一六〇)が認められるが、六月一一日以降頭痛、全身倦怠、食思不振、下痢、視力障害等については他覚的症状が存しないことが明らかであるのに、これらの点が確認されることなく更に、本件薬剤に対する接触の有無、量について患者である原告らの申立てをそのまま採用するだけで、この点に関する因果関係の確定が行われないまま、原告らの自訴症状がBHC、EDB中毒に類似していることをもつて、パインサイドC中毒と診断されることには疑義があり、更に、原告美子の血中総BHCが二・五mg/dl、すなわち、α-BHC〇・〇〇九ppm、β-BHC〇・〇一〇ppm、γ-BHC〇・〇〇六ppm、δ-BHC〇・〇〇〇ppmの合計〇・〇二四ppmであり、これとの比較対照となつた新潟県職員一人の場合の血中総BHCが一・五mg/dlとの差が大きいことから、BHC剤の暴露が裏付けられるとされているのであるが、社団法人日本食品衛生学会発行の食品衛生学雑誌第一三巻五号所収の「食品中の残留農薬の分析に関する研究」(四四八頁)、表三、CのトータルBHC欄によれば、授乳婦の例として、その血中に〇・〇二〇ないし〇・〇五〇ppm程度の総BHCを残留しているものが四〇・八%もあり、同じく表三、bのγ-BHC欄によれば、その血中に〇・〇〇五ないし〇・〇一〇ppm程度のγ-BHCを残留しているものが二四%あり、原告美子の血中総BHC等の濃度がこれらの調査結果に比べ異常な値を示しているとは認められない。

また、血中ブロムの濃度が五五・九mg/dl存したことからEDB剤に暴露されたことが裏付けられるとされているが、英国産業医学誌(一九六一年第一八巻)所収の「メチルブロマイド中毒」(五三頁~五七頁)の表二からも判るようにブロムの体外排出は極めて急速に行われる。したがつて、仮に、原告美子が六月八、九日ブロムを含有するEDB剤に接触したことがあつたとしても、血中に五五・九mg/dlのブロムが残存しているとは考えられない。ましてや、本件薬剤として使用されたEDBは二・五%に薄められているのである。よつて、原告美子の血中から測定されたブロム値は同原告に投与された薬剤あるいは、同原告が服用した薬剤による可能性が極めて高いものといわなければならない。

また、右中毒症状の検討にあたり、いずれも本件において使用されたγ-BHCの濃度に比べ、はるかに高濃度のBHCを多量に吸飲したり、これに接触した実例及び実験例をその基礎においたものであつて、本件には適例、適切とはいえない。このことはEDB中毒症についても同様である。

また、原告らの既往歴を十分検討することなく、本件散布に使用された本件薬剤による動物実験も経ることなく、原告らの自覚症状が右論文等の症状に似ているという理由だけで、パインサイドC中毒と診断されるのは科学的、医学的根拠に欠けるものといわなければならない。

また、新潟市公害課の課員が採取したとする資料の分析結果は、採取時の対照試料の不設定、四年間も役所の机の中に茶封筒に入れていた試料の保管状態、および右資料の分析方法のいずれの点においても化学的根拠に欠けるか、科学的常識に欠けており、その分析結果自体全く何んの意味(価値)も有しないものであり、従つて、本件薬剤が原告方まで到達したあるいは原告らに接触したという証拠資料にはなりえないものである。

(三) 更に、本件薬剤として使用されたγ-BHC〇・二五%、EDB二・五%を含む混合油剤は、害虫分散防止のための散布中あるいは散布外においてもこれまで中毒事故を起した例は皆無であり、本件においても本薬剤を散布していた作業員等に何らの特異症状も現われていないことからすれば、原告らの症状が到底本件薬剤であるパインサイドC中毒によるものとは認められない。

五 被告国の責任について

仮に、本件薬剤散布と原告らの症状との間に因果関係が存すると認められたとしても、被告国には原告ら主張のような不法行為責任はない。昭和四五年六月八日、輸入者岩手県貿易振興協会が輸入したソ連材について同振興協会の委任を受けた新潟植物検疫協会から横浜植物防疫所新潟出張所植物防疫官あてに植物輸入検査申請(植物防疫法八条一項、同法施行規則一〇条)及び木材天幕くん蒸承認申請(輸入木材検疫要綱第二、二項)がなされたが、右木材の運搬については水面使用ができなかつたため、全量陸取り輸送に切換えられ、同協会から前記一の1ないし3及び消毒場所使用にあたつては、危害防止、害虫防止、害虫分散防止に万全を期することは勿論のこと、消毒の一括実施にも万全をつくすことという条件で陸上貯木陸路輸送許可願が提出されたので、同日新潟出張所長は、右許可の条件としての害虫分散防止のための薬剤散布方法が輸入木材検疫要綱別表二の(10)に合致し、またその管理者である被告会社は、すでに昭和四五年三月から四月にかけて本件薬剤散布について十分な指導を受け、その害虫分散防止の薬剤散布についての実績も有していたので、同要綱第一六、一項に基づきこれを承認したものであることが明らかである。

右のとおり新潟出張所長が行なつた許可には何らの違法性もなく、法令上右許可の審査範囲以上に第三者に対する危険防止を考慮して行政上の措置を講ずべきことを命ぜられておらず、薬剤散布の際における第三者の危険防止に対する配慮義務は当該具体的状況下においてこれを実施する輸入業者及び管理責任者が負うべきものといわなければならない。

以上のとおりであるから、原告らの被告国に対する請求はいずれも失当なものとして棄却されるべきである。

(被告会社の主張)

一 被告会社が昭和四五年六月八日午後一時三〇分から午後六時まで、同月九日午前八時ころから午後六時三〇分ころまでの間、通称浜町通り山ノ下埠頭入口附近で行なつた輸入木材の害虫分散防止のための薬剤散布と、原告らの症状との間になんら因果関係がないことは、被告国の主張と同一であるので、被告会社も右の主張を援用する。

二 被告会社は被告国の主張に付加して、次の主張を補足する。

本件薬剤の散布は原告宅から北西側に約五五メートル離れた地点で行われた。その方法は高さ約三・五メートルの鳥居型をした細い管を組立て固定し、その下を木材(本件当日の場合はソ連船ビアチゴルスク号から積降された長さ三メートルないし五メートルの外材)を積んだ車両(トラツク)を順次くぐらせ、管の上部のノズルから前記の混合油剤を荷台の最上部より約三〇~五〇センチ上方から(台上の木材最上部までの高さは地上約三メートルである)吹きつけるものであり(この散布方法は植物防疫所の指導による)、而して、一台当りの散布量は〇・七ないし〇・八リツトルであつて、この散布に要する時間は一台当り約三秒(長くて五秒)間である。

そして、六月八日に散布した車両台数は延べ八三台、同九日は延べ一四七台であつたから、現実に散布した時間は延べにして八日は午後一時三〇分から六時までの間のうちわずかに二五〇秒(四分一〇秒)ないし四二〇秒(七分)前後であり、九日は午前八時ころから午後六時三〇分ころまでの間のうち、わずか四四〇秒(七分強)ないし七三五秒(一三分弱)前後のものである。

被告会社は六月八、九日の両日前記時間帯にわたり延べ二三〇台の車両により、輸入木材を、山ノ下埠頭岸壁から約四キロ離れた新潟市河渡に所在する訴外金清木材(株)所有の陸上土場における燻蒸消毒場所まで運送したものであるが、右のとおり本件混合油剤の散布時間はきわめて短いものであり、(この二日間の散布の所要時間を合計しても約一二分間ないしは二〇分間である。)しかもその間絶え間なく連続したものではなく、一回につき一リツトルに充たない量を三秒間ないし五秒間木材に散布しては次の車両の来るまでこれを止めておき次の車両が来たらまた同じ方法で散布するといつた作業方法である。

しかも右両日ともに風はほとんど無いといつてもよく、風速三メートル前後(最大で風速六米)であり、かつ風向は六月八日は西風、同九日は南ないし西風がほとんどである。

而して右の各事実と本件散布場所から原告宅までは前記のとおり約五五メートル離れていることとをあわせ判断した場合、かかる状況のもとで右に述べた方法で敵布された薬剤が原告宅にまで流出するなどあり得べからざることと思料され、いわんや家屋内に居た原告らにもこれが到達するなどとは断じてありえないというべきである。

散布作業に直接従事した作業員等にまつたく何らの症状も発生せず、しかも本件薬剤の使用により中毒症状等の現われた例は他に皆無であることなどからして、仮りに原告らにその主張にかかる症状がみられたとしてもそれが本件薬剤散布に基因する中毒によるものとはとうていみとめられないのである。

三 本件薬剤散布後の原告らの訴える症状は原告美子において昭和四一年七月二九日から、同政雄において同四二年一月六日から、いずれも古沢東松医師のもとで、頻繁に、または連続して通院治療をしてきた既往症との間に差異を認めるべきものがまつたくないのである。

原告美子は本件散布時の六月九日以後も同月中はほとんど毎日同医師の診察ないし治療を受けており、七月も一六日間来院している。ちなみにそれ以前は同四五年に入つてからだけでも本件散布当日まで原告美子の古沢医師のもとに来院した回数は一月一六日間、二月一九日間、三月二〇日間、四月一六日間、五月二六日間、そして六月は八日までに七日間のつごう一〇四日間の多きに及んでいる。

そしてこれらの期間を通じての既往症は同医師作成のカルテ及び原告らの病状等略歴書に明らかなとおり、いずれも低血圧、全身倦怠、頭痛、めまい、悪心、筋肉痛、食思不振、脳貧血、脱力感等であつて本件薬剤散布以後のそれと特に異つた症状とみとむべきものはなく、ただ六月二一日に両前腕にコヌカ大の粃糖がみとめられ急性皮フ炎の後期症状と確認されたが顔面及び頸部にはみとめられなかつたとされている。しかしこの皮フ炎についても昭和四二年七月三一日背両上肢に、同四三年一〇月一二日顔面急性皮フ炎に罹患した既往歴がある。

原告政雄も昭和四五年一月からだけでも本件薬剤散布時まで同年一月は九日間、二月は二日間、三月は九日間、四月は一八日間、五月は二二日間、六月は九日まで連続して同医師のもとに通院しており、その症状はさらにそれ以前からのそれとほとんど異なつたものではない。

而して六月一〇日以後の症状としては食思不振、下痢、全身倦怠、頭痛、嘔吐等を訴えているがいずれも自覚症状のみで他覚症状として特記すべきものは認められていない。ただ六月二五日に視力障害を訴えたので眼科(明生堂医院)を受診させたがアレルギー性結膜炎であることがみとめられた。この視力障害の訴えは昭和四四年八月一二日にもあつたことが確認されている(前記略歴書)。

四 原告らの既往歴の詳細は被告国の前記主張のとおりであるから重複をさけるが、重要なことは本件散布作業が行われなかつたならば原告らにおいて六月九日以後の症状が起らなかつたといえるか否かである。

すでにみたとおり、本件散布に使用した混合油剤の成分(性質、濃度等)、使用方法(使用量、使用時間、作業手順)、当日の風速及び風向、原告宅までの距離、他に罹患した者のいないこと等々の客観的事実に徴し六月九日以後の原告らの症状が右散布に原因した中毒などでないことは明白であるとともに、さらに前記既往歴との結びつきをみた場合、原告らの症状は過去長期かつ継続的に治療がなされてきた各種症状との間に差異をみとむべきものはなく、本件散布作業の有無にかかわりなく厚告ら自身の体質ないし原因による疾病というべきものであること明らかである。

五 本件においてBHC中毒ないしパインサイドC中毒と診断した斎藤恒医師及び広田医師らはいずれも原告らの長期にわたる既往歴の存否及びその内容について皆無といつてよいくらい何らの調査、検討をくわえていない。文献中にある同種の中毒と類似の症状を呈したということが有力な根拠とされている。しかるところ斎藤医師の証言では文献等の明示はなく、又広田医師の証言により指摘する文献、論文等はすべて本件散布作業によるそれとはまつたく比較に値しないような事例等にかかるものであつて本件の場合にはあてはめるすべのないものである。

また原告美子の血中ブロムの濃度、血中総BHCの値からEDB剤、BHC剤の暴露を認めているが、これが不当であることは被告国の前記主張のとおりである。

本件の場合のみならず薬物等による中毒と断定ないし診断をくだすに当つて患者の既往症を特に注意し、検討すべきことは古沢医師の指摘(前記略歴書中に記載されているとおり)をまつまでもなく必然的に為されるべきことである。特に原告らにおいては昭和四一年七月ないし同四二年の当初からきわめて多数回(一ケ月のうちの三分の二前後に及ぶ)にわたつて通院加療を継続し、この間治療にあたつてきた古沢医師は他の誰よりも原告らの体質、健康状態を熟知しているものである。しかるに斎藤医師もまた同医師が紹介したという神経内科の広田医師らもこの点に意を注いだと認め得べきなにもない。

本件訴訟中において原告らは「古沢医師は被告会社の嘱託医である」と云い、(嘱託医なるものの意味がよくわからないが年一回程度被告会社従業員らが健康診断をうけにくいことはある。)あたかもそれだから信用度が低いかの如くいうけれども、同医師は昭和一一年に新潟大学医学部を卒業、新潟市山ノ下にある臨港総合病院の前身である臨港診療所を設立、やがて同診療所が総合病院となるにあたりその創設に尽力し昭和三三年から個人で医院を開業しているベテランの医師であるところ、本件原告らに対しては長期にわたり親身もおよばぬほど熱心にその治療にあたつてきたのである。而して、本件において被告会社及び代理人らが証人として申請する以前に事情をきくべく申入れたけれども、原告らに対する医師としての配慮からこれを拒否されている。このことは同医師の証言からも明らかであるが、このような古沢医師のもとにおける原告らに対する治療の内容、程度、症歴の過程はいかなる資料にもかえがたいものである。これをほとんどまつたく無視し調査、検討を為さずして、原告らの症状を本件薬剤によるパインサイドC中毒と診断した斎藤医師及び広田医師らの結論は明らかに不当であると思料する。

六 原告らの六月九日以後の症状は被告会社の本件薬剤散布と何らの因果関係なくパインサイドC中毒なるものではないことは右に述べてきたところから明白であり、よつてこれを原因ないし理由とする原告らの本訴請求はその前提事実を欠くものであるから、原告らの損害の有無等を論ずるまでもなく失当であり棄却されるべきものである。

(被告らの主張に対する原告らの反論)

一 消毒済そのものの有害、危険性について、

本件消毒薬剤の原液は、毒物および劇物取締法によつてそれ自体劇物と指定されているγBHCを二・五%、同じく劇物とされているEDBを二五%含有しており、製品消毒剤である原液それ自体も劇物である。このような劇物は、製造・販売・貯蔵・運搬における規制をはじめ、劇物の飛散・漏水等の予防義務、一定の資格ある取扱責任者の存置義務等広汎な規制・制限措置が命じられている。本事件にあらわれた証拠をみると、被告等はまず第一に、右の毒物・劇物取締法が何のために制定され、同法が何故このように広汎な取扱上の規制措置を定めているかという点について全てその認識を欠いているものといわねばならない。数ある有害有毒物質の中から特に「毒物・劇物」と指定して厳しい規制措置を定めたのは、いうまでもなくその物質の毒性がきわめて高く、任意に放置していたのでは人間の身体・健康を破壊する危険性が大きくこれを厳重に予防せねばならないからである。

このように、特にその危険性を考慮して特別法で規制している毒物・劇物を取扱う場合は、取扱上の注意が必要とされることは勿論であるが、たとえそれを一〇倍に薄めても大量に散布してこれが住民に到達する場合、その危険・有害性がどのようなものになるかについて慎重な判断と注意が必要であるにも抱らず、なんらその判断・検討もなきず、漫然と消毒剤を大量にばらまいたことはそれだけでも明らかに注意義務の欠如といわねばならない。法律によつてとくに「毒物・劇物」と指定されその危険・有害性が宣言され、公認されている物質を、たとえ一〇倍程度にうすめたからといつて住民に与える危険性に対しなんら検討しなくてよいとか何の注意も払わなくてもよいなどという結論は常識的にも絶体に出てこない筈だからである。このように本件薬剤にあるγBHCもEDBも、原液薬剤そのものも右の毒物劇物取締法に指定されている劇物であることから、本件消毒にあたつて必要とされている注意義務を被告らが欠如していたことは明白である。

被告らの注意義務は、同取締法上の指定された劇物であるという問題だけからくるのではない。薬剤にあるγBHCとEDBそのものの毒性からくる取扱上の注意義務とくにその毒性が当時すでに社会問題化している時にこれを散布するものの注意義務が強調されねばならない。

(1) BHC

まず、BHCは、DDTの数倍の殺虫力があり、その毒性の中心は神経毒である。脂肪に溶けやすく、皮膚、口、気道からも侵入し急性の中毒が後遺症状を残すのも稀ではない。

そして、本件灯油のごとき「特に有機溶剤に溶解したものは吸収が早く毒性が強く現われ」る。

また中毒前後の飲酒は被害を強化する。そしてひとたび中毒にあうと皮膚粘膜の炎症、神経系統の障害(頭痛、めまい、意識障害、手足のしびれ、筋力の低下、けいれん)、消化器官の障害(肝臓、胃腸障害、腹痛、下痢、食欲不振、悪心、嘔吐)、眼の障害(露視、重複視)等様々な障害をひきおこし、苦悩の末、死に至ることも稀ではない。

(2) EDB

EDB(臭化エチレン、ジブロムエタン、エチレンプロマイド)は殺線虫剤として使用され、クロロフオルムより相当強い毒性があり、温血動物に有毒で皮膚を侵触する。蒸気は、眼の粘膜、上気道を刺激し、鈍感、抑うつ、嘔吐を催し、重症になると気管支炎、喉頭炎、食欲不振、頭痛、意気消沈・抑うつ症等を起すという。一般にハロゲンは強力な毒性基であるが、BHCやEDBのようなハロゲン化炭化水素は一般に母体より毒性が大きく、中毒前後の飲酒は被害を強化するという。

以上のように危険有害物質であるが故に、γBHCもEDBも毒物劇物に指定されたばかりでなく、その製造・使用制限が次々と強化され、BHCは逐に昭和四六年に全面的にその使用を禁止されるにいたつた。

即ち、厚生省は、すでに昭知四三年から農薬の残留許容量を定めていたが、昭和四四年七月一〇日には、DDTやBHCの新規許可を中止する決定を行い、同年一一月食品衛生調査会の農薬許容量の答申うけるという事態の中で、同年一二月一〇日、日本BHC工業会は国内むけのBHC・DDTの製造中止を決定した。

他方農林省も厚生省が行つた昭和四四年の残留農薬の調査によつてBHCが牛乳中に多量に残留していることが社会問題になつた後、昭和四五年の初めに農政局通達を発し、乳牛に稲わらを食べさせるのを規制し、また稲作の後期にはBHCを使用制限し、同年夏には、八月一五日以降の稲作への使用禁止を通達し、同年一〇月には稲作に全面禁止、昭和四六年には農作ばかりでなく、林業等についてもBHCを全面使用禁止とした。

即ち、本事件が発生した昭和四五年六月当時、BHCの人体に対する毒性が社会問題化しており、その製造が中止され、使用の制限も強まり、全面使用禁止の一歩手前まできていたのである。したがつて被告らがBHCの毒性を知らなかつた筈がなく、また知らなかつたですまされる状況になかつたことは明らかといわねばならない。そして注目すべきことにはこれらBHCの使用制限措置をきめたのが、厚生省とともに、本件消毒作業の監督官庁である植物防疫所を管下におさめる農林省であつたという点である。しかるに本件BHCの散布になんら注意を払わなかつた被告国側の責任は一層重大というべきである。

(3) 農薬事故の多発

しかも、BHCのような有機塩素系農薬ならびに有機リン系農薬の散布等による農薬中毒事故は頻繁に報じられていた。たとえば、公に現われた厚生省薬務局薬事課の調査でも、昭和三三年から昭和四〇年まで毎年三〇名以上の農薬中毒死亡者と一、一〇〇人以上の中毒者の発生が明らかにされており、新潟県衛生部による昭和四八年「衛生年報」によれば、新潟県下でも、昭和四四、四五年度とも、毎年三〇名の中毒死者を含む四〇名近い中毒患者の発生をみている。昭和四四年には散布地に立入つただけで五人の患者が発生している。

その後、農薬の使用制限や使用方法の指導の強化によつて患者は減少したが、本件事故発生時においては、BHCも含む農薬の中毒問題が依然として大きな問題となつていたのであり、残留農薬の毒性問題とあわせて、およそBHCを取扱う者はその毒性に無関心ではおれなかつた筈である。

しかも、木材の消毒に関し、消毒剤の有毒性について本件植物防疫所管内ではすでに問題とされ議論もされていた。即ち、昭和四二年六月一日、山の下地区の医師会、歯科医師会関係者一二名より、県に対し臭化メチル(これはBHCや亘DBと同じハロゲン化炭化水素に属し、その中でもEDBと同じ臭素化炭化水素に属する)の毒性が強く人体に影響があるから木材投下泊地およびその背後地で一切使用しないようにとの陳情が出され、県は、植物防疫所や木材業界などと含め数次にわたる打合せ協議を行つた。

その結果、臭化メチルの使用は「取扱いに適正を欠かない以上は危険はない。」と押し切る決定がなされたが、地元住民の反対運動の結果、木材投下泊地の背後地は地元の反対があるからということで事実上使われなくなつた。さらに、昭和四三年にはポートサービスという会社の従業員の何人かが木材くん蒸消毒によつて中毒して新潟大学医学部に入・通院して問題となり、新潟大学医学部神経内科の連絡をうけて、木材消毒関係の作業員二、三〇人を集めて精密検査をなし、以後定期検査を続けているということである。

以上のように、木材の消毒に関しては、すでに地元住民からの反対運動がなされ、同じハロゲン化炭化水素に属する消毒剤による患者も発生していたうえに本件消毒剤に含まれるγBHCやEDBの毒性は学問上明らかとなつており、とくにBHC剤等による残留農薬問題と農薬中毒事故の多発が社会問題とされて、農林省による使用制限が強化されていた時であること、γBHCもEDBも、本件原液の消毒薬剤そのものも毒物・劇物取締法に指定される劇物であること等に鑑みれば、被告国は勿論のこと、被告会社も、本件消毒剤の毒性・危険性について知らなかつたなどということでは絶対にすまされないことである。被告らのこれら有毒物に対する注意義務の欠如は明白である。

二 被告らの「一〇倍にうすめた」という弁解について、

ところで被告らは、本件消毒に使用した薬剤は原液を一〇倍にうすめたものであり、含有量はγBHC〇・二五%、EDB二・五%となり「劇物」でなくなつたから、家庭において使用されていたγBHC含有量一%位の薬剤に対比しても「特別な注意を払わなくても人に危害を及ぼすものではない」「損害が発生するなどは到底考えられない」と主張し弁解する。

(一) 無害の証明なし

しかしこれは全く弁解にならないばかりでなく、その注意義務の欠如を自白するも同然である。

「一〇倍にうすめたから劇薬でなくなつて安心だ」という考え方がそもそも根本的にまちがつている。一〇倍にうすめたとはいえ、原液が劇物であるものをうすめたのであること、うすめたという液の中にも劇物とされているγBHCやEDBが依然として含まれていること、したがつてこれを散布するにあたつてもなお注意を払わなければならないと考えるのが通常人の思考方法であるか。

少なくとも、きわめて有害であることに争いのないγBHCやEDBを含む薬剤が一〇倍にうすめられることによつて無害になつたという充分な検証なくしてどうして「危害なし」と断定できよう力

被告らの主張は原液を一〇倍にうすめることによつてその液体は毒物・劇物取締法にいう劇物に該当しなくなつたという法律上の単純な結論を述べるにすぎず、BHCやEDBの有毒性を決して消し去ることはできないものである。

(二) 有毒物の絶対量

人体に対する危険有害物は、使用薬剤のBHCなどの含有率だけできまるものではなく、使用量に含まれる有害物の絶体量にもかかることはいうまでもない。二〇リツターの原液に含まれるBHC・EDBの絶対量はこれを一〇倍にうすめた二〇〇リツターの希釈液に含まれるBHC・EDBの絶対量と異ならない。したがつて二〇〇リツターの希釈液を散布すれば、劇物である二〇リツターの原液が散布されたと同じ量のBHC・EDBが散布されるのである。BHCやEDBの毒性が問題なら、一〇倍にうすめたからといつて問題は解決しないのであり、その使用量の絶対量はどれほどか、また人体に危害を与える使用量はどれほどかという点にあり、これについて何の注意も払わず、単に法律上の「劇物」に該当しなくなつたというだけでBHCの毒性が消滅したことと同視して安心していた被告らの注意義務の欠如は明らかである。また同様に、家庭用薬剤のように単にハエや力に対処的にそしてごく少量の散布をした場合と本件のように動力噴霧機を使用して大量に散布した場合とを同視することの失当さも明らかである。しかもその家庭用薬剤すら、使用上の注意として飲食物や食器・おもちやにかからないように、また液剤を吸いこまないようにと厳重に注意しているほどである。

(三) 分散防止消毒剤の用途

なお、被告らは本件消毒は害虫を完全に死滅させる本くん蒸とことなり、害虫を弱らせるにすぎない害虫分散防止消毒であるからその危険性・有害性の少ないものであるかのごとき主張をする。

しかし、消毒剤の使用目的がどうであるかはここでは直接問題ではなくてその消毒剤に含まれるBHC・EDBの一定量が住民に到達して害を与えるということが問題なのである。その上、本件分散防止の薬剤そのものは、本くん蒸においても使用されるものである。消毒方法の基準(一〇)の分散防止に使用される薬剤(BHC〇.二五%、EDB二・五%を含む混合油剤)は、本くん蒸に使用される薬剤の(3)番及び(4)番の(ロ)と全く同様のものであり、一平方米当り三〇OCC散布する点も同じである。このように本くん蒸にも使用される薬剤と同様の薬剤が本件消毒にも使用されたということは、分散防止消毒だから危険は少ないという被告の弁解を全く無力にしている。問題は薬剤の使用量であり、γBHC.EDBの含有絶対量であり、人体にこれが影響を及ぼす許容量なのである。したがつてこの点でも被告らの弁解は到底通用するものではない。

三 被告らのその他の主張に対する反論

1 被告らは、風向について、六月九日における新潟地方気象台および山の下閘門排水機場の風向をとりあげて、原告の主張をくつがえそうと試みている。しかし、これは一見科学的に思われる反論ではあるが、何ら原告らの主張に対する有効な反論となつていない。風向が地形や建物の関係で局所的に大きく変化することは少しでも気象学の知識のある者や実際に体験した者なら誰でも知つているところである。山の下閘門排水機場の風向は、原告宅付近の風向を決定する根拠となりえない。また、風速にしても、高い建築物の付近では、二~三倍の風速になることはほぼ常識化しているが、室内に流れ込む風が、片側だけ窓をあけた場合よりも、風が流れ出ていく方向の窓などがあいていて、風が流れ込みやすい場合、とりわけ、流入口よりも流出口が大きい場合には風は室内において速度をまして流れることも科学的に明らかにされている。要するに、山の下閘門排水機場の風速が一~六メートルであるということは、原告宅付近および原告宅に流入した風の速度も一~六メートルであるという根拠にはなりえないのである。したがつて、原告らが、これを一〇メートル位の風と感じたとしてもそれは十分にありうることであり、原告らの供述の信憑性を何ら低めるものではない。ただ誤解を防ぐために念のため付け加えれば、風速一~六メートルのときは、薬液が原告宅に到達しないということを主張しているのでは断じてない。粉剤ではあるが、風速一メートルの時でさえも、地上一メートルの高さで散布するならば五〇メートルまで飛ぶことが報告されている。まして、本件の如く、四・五メートルの高さから動力で圧力をかけて噴霧した場合更に遠方まで到達することは科学的に十分肯定できるところである。そして、試みに新潟市公害課の課員数名が、東庁舎屋上で散布したところ、五〇メートルの地点まで十分到達することが明らかになつている。右試みは、科学的精確さを備えていないにしても、すなわち、風速と到達量との関係が条件設定されないままなされているにしても、少しの風で五〇メートル位は十分飛ぶこと、農家の人たちの長年の経験からみても五〇メートル位は十分飛ぶこと、勿論、五〇メートル離れた地点に到達する薬液の量は噴霧場所とは同じではないが、本件においては、原告宅の窓を開放していた時間だけでも、朝八時から午後二時までの約六時間(かりに昼休み時間一時間あつたとしても約五時間)もの長時間断続的にしかも全体的には多量の薬液を原告らはあびていたことになるのである。これらのことを考慮すると、本件薬剤が原告宅に到達しなかつたという被告らの主張はまつたく容れる余地がない。

2 被告会社および国は、新潟市公害課係長(当時)石井淳が、六月一三日原告宅の本件散布場所に面する窓ガラスの桟付近のガラスのゴミを拭き取つた白色木綿製のハンカチからγBHCが検出されたのに対し、右は採取時に対照試料が設定されていないこと保管方法に欠陥があること分析方法にも問題があることを理由に、本件薬剤が原告宅に到達したこと、あるいは原告らに接触した証拠資料にはなりえないと強弁している。

被告会社および国は、右ハンカチから検出されたγBHCが本件薬液噴霧の結果付着したものであること、ひいては原告夫婦がパインサイドC中毒に罹患したことを否定するために採取時に対照試料が設定されていないこと等をとり上げ、その科学的不備を突くことによつて、何とかパインサイドC中毒に罹患した事実そのものを否定しようとやつきになつているが、右被告会社及び国の試みは全く失敗している。原告夫婦が被告会社が噴霧した本件薬液によつてパインサイドC中毒に罹患したといいうるためには、同一時期に同様の症状が発生することが必要である。本件においても原告両名はほぼ時を同じくして症状の発生をみたものであるが、他にも、宮永リヨおよび宮永卯称子の両名も同様の症状を示していることについて、何の反論もできないということをとくに指摘したい。

3 さらに、被告会社および国は、本件薬液噴霧に従事した者に中毒が発生しなかつたことを理由にあげて原告夫婦はパインサイドC中毒ではないと主張しているようであるが、このことは何ら原告夫婦がパインサイドC中毒に罹患したことを否定する材料にはなりえない。過去に本件薬液で中毒事故を起こしたことがないとか、作業従事者に中毒が発生しなかつたとかが、どうして本件において原告夫婦が中毒に罹患したことを否定する材料になるのであろうか。原告夫婦は、一般的抽象的に本件薬液の散布が行われるときには、常にどん条件でも中毒症に罹患するということを一度も主張した覚えもないし、またかかる非科学的主張を試みるつもりはまつたくない。原告夫婦は風下において、本件薬液の暴露をうけたからパインサイドC中毒に罹患したと主張するものであつて、作業員が風上に位置して作業している限り、本件薬液の暴露をうけることはないし、また暴露をうけない限り中毒にかかるはずもない。右被告らの反論はまつたく理由にならない。

4 また、被告らは、原告らが業務上シンナーを扱うことを奇貨として原告らが中毒になつたとしてもそれはシンナーによる中毒であつて本件薬剤によるものではないと強弁しようと試みるかも知れない。しかし、これも無駄な試みである。

そもそも原告政雄が営業用で使用するシンナーは揮発性が少なく、一~二時間空気中に放置しても揮発しないものである。しかも、原告美子は六月九日にはまつたくスチール家具製造の手伝いをしておらず、かつ作業場にいなかつたにもかかわらず、当日四時頃から顔が赤くはれ、中毒症状を呈したということ、まさに塗装の仕事をしていた従業員に中毒が発生していないこと、まつたくシンナーと関係のない宮永リヨ、同卯称子にも原告らと同様の胃腸症害、神経症状が認められることなどを考慮するだけでもおよそシンナー中毒説の入る余地はないのである。

以上のとおり、被告らの反論はことごとく理由のないものであり、本件薬液の噴霧場所において噴射された薬液が、風に運ばれて原告宅まで到達したことは、明らかであり、これによつて原告夫婦がパインサイドC中毒に罹患したことは疑う余地もなく明らかにされたといえよう。

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